算命道一直線:番外編
(過去の日記からの抜粋です)

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2002.03.03(日)  「創楽院算命学塾スタート」
2002.04.16(火)  「同じ生年月日の人は皆同じ運命になるのですか?」
2002.09.15(日)  「天中殺除けのお守り?」
2003.04.16(水)  「万象算命誕生秘話」
2003.06.01(日)  「ツバメの巣」
2003.10.03(金)  「松井選手のことで」
2003.12.05(金)  「プロセスを重視する、ということ」
2004.2.24(火)  「あなたは神を信じますか?」
2004.2.28(土)  「私が卜占をやらない理由」
2004.3.02(火)  「おみくじの効用について」
2004.3.28(日)  「予言ではありません」
2004.4.01(木)  「生年月日だけで全てがわかる、なんて考えてはいけないのです。」
   

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2004.4.1(木) 「生年月日だけで全てがわかる、なんて考えてはいけないのです。」


 世の中には「占い=性格判断」だと思っている方も少なくないようで、算命学は生年月日を基にして
 人間の宿命と運命を読み取っていきますと申し上げると、「じゃあ生年月日が同じ人同士は同じ性格
 なのか?」と言い出す人がいるらしいんです。

 一般常識で考えてみて下さい。同じ日に生まれる人というのは日本国内だけでも毎日数千人(昔に比
 べるとかなり減少しているとは思いますが)にも上ります。ところが、両親はもちろんのことこれか
 ら先自分が生きていくうえにおいての本人を取り巻く周囲の環境などは全て異なるはずです(双子に
 ついては後述します)。

 人間は幼少期において、両親や兄弟など身近に居る存在を観察しながら、その行動や言葉等を真似し
 て、そこから多くの知恵・処世法を身に付けていくわけです。やはり親と、親によってもたらされる
 環境からの影響が非常に大きいのです。

 確かに同じ生年月日だったら運命学上では同じ星の配列が与えられることになるでしょう。でも、だ
 から同じ性格、同じ運命になってしまうのでは? という考え方はあまりにも短絡的で、幼稚な発想
 です。どうもシロウト占いの世界では、「人間の運命は星に支配される」というような考え方が横行
 しているようで、それが例えば小説などを読んでいても「この人は悪い星の下に生まれた云々」なん
 て表現がなされてしまう、ロマンチックな表現ではあるかも知れませんが、これは違います!

 算命学では人間一人一人が小宇宙である(人間小宇宙論)と考えています。ですから誰もが自分の内
 的宇宙に全ての星を所有しているのです。人間が星に支配されるのではなく、人間ひとりひとりが自
 分の星を知って、その星を活かして生きていかなくてはいけないのです。「人間の星」の並び方は実
 に様々であり、また同じ星を持っている者同士でも、その星の輝き方は千差万別なのですよ。

 たとえば「石門」という星があります。本には「社交性のある人、和合協調精神のある人、説得力、
 交渉力があり、仲間作りの上手い人、外面は良いが内側は頑固・・・」等というように解説されてい
 ますね。
 星命樹(人体星図)の中心星(胸の星)はその人の心の本質を表す星ですから、いつどこで誰と接す
 る時にもこの要素が必ず関与することになるのです。しかしながら中心星が「石門」であっても、人
 によってそのキャラクターは他人に対して随分と違った印象を与える事が少なくありません。

 フレンドリーな人もいれば、腹黒い、とんでもなく悪いやつもいるし、特定の相手を選んでその範囲
 でのみの社交性の発揮という人もいる、時間をかけながら少しづつ仲良くしていく人もいる、・・・
 というように実に様々。押しの強い人もいれば、あたりの柔らかい人もいるのです。

 同じ星であってもその持ち味の発揮は人によって実に様々であること、それを理解して下さい。中に
 は持ち味を全く活かしていない人もいらっしゃるのです。生年月日によってもたらされる宿命=その
 人に与えられた生きる範囲というものは実に広大で、それをどう活かすかは全て個人の生き方、人生
 行程の選び方にかかっているのです。

 同じ星であってもその輝き方は人それぞれ、だから同じ生年月日の人で星命樹の星の配列が全く同じ
 人であっても、当然性格は違うし、その運勢もみんな異なります。人間の未来はその全てが決まって
 しまっているわけでは全くないので、自分がどのような生き方を選ぶか、また自分が選んだその道を
 どれくらい一生懸命に生きていくのかによって、実に様々な人生模様が展開されていくわけです。

 特に独学で占いや或いは算命学の勉強をされている方が陥りやすいのは、算出した星からその人の宿
 命や運命を読み取って、それだけでおしまいにしてしまっている、つまり星から人を観ているだけな
 んです。それだけでは片手落ちで、反対に今度は人から星を観るということ、つまりその人が自分に
 与えられた星をどう活かしているのか、星をどれだけ輝かせているのか、そういう部分を把握してい
 かなくてはダメなのです。星から人を観る、そして人から星を観る、その双方向から捉えていかなく
 ては人間の宿命や運命を的確に把握していくことは出来ないのです。

 人間は大自然の一部ではありますが、樹木や岩石、海や太陽といった自然界の存在物とイコールでは
 なく、心(=存在意識)というものを持っている、この点を無視してはいけません。
 そうすると「六星占術」はその仕組みに重大な欠陥がある、人間の運命を生年月日を基に大きく6つ
 のグループに分類し、そこまではいいのですがその心(=存在意識)の部分、専門的には生日干の部
 分を判断材料から外してしまい、心を持たない自然物として扱ってしまっていることになるのです。

 東洋の陰陽五行思想を基にした占術・運命学は数多く存在するようですが、算命学ではこの宇宙を
 「静体」と「動体」とに分けて考えていて、「静体」というのはこの世の存在物(太陽や海、樹木や
 岩石など、これらをさらに5つの要素=木火土金水に分類している)、「動体」というのは自然界に
 存在する全ての動物達(六神獣)、もちろん人間もこの「動体」に含まれることになります。
 ところが六星占術のやり方は算命学から見た場合、そのような分けかたを無視して、人間を「静体」
 と同様に扱ってしまっている、これでは生年月日を基にしながら人間の宿命や運命といったものを把
 握していくことは絶対に出来ないのです。

 運命学上の根拠が希薄で、仕組みのデタラメの占いが「当たった」とするならば、それは全て「まぐ
 れ当たり」でしかありません。「この占いが当たれば手軽で便利でいいだろうな」という願望が、自
 分自身と占いの答えとを無理矢理結びつけようとしてしまう、そうやって荒唐無稽なものを信じ込ん
 でいってしまう人が少なくないのです。
 新興宗教の世界などにおいても、それらと同様なプロセスを経てカルト的な教団が誕生し、巨大化し
 ていく・・・、そういうものにハマッてしまうと気がついたときにはもう手遅れで、お金も家族もみ
 んな失っているわけです。


 そろそろ話を元に戻しましょう。

 それでは同じ生年月日でも出生時間が異なれば、性格や運勢も異なるのではないか? という考え方
 が生まれてくるのは特別に不思議なことではないでしょう。しかしながら他占術に関しては存じませ
 んが、少なくとも算命学はそのような見方をしていないのです。何故ならば、生年月日および出生時
 間という、「時間」そのものを占っているのではなく、時間と一体となっている「空間」の部分(こ
 の世は空間と時間が一体となることで成立しているのです)の状態を五方向に分類して考察していく、
 他の生年月日占いが「時間占い」だとすれば算命学は「空間占い」、全く違うわけなんです。

 時間というものはいくらでも細かく分割していくことが可能です。しかしながら陰陽五行思考でこの
 世というもの、「天地人三界の理」を解釈していくと、時空間の最小単位は一日(一時空間)となり
 それ以下にはならないのです。一日という空間を如何なる方法でいくつに分割してみても、その一つ
 一つの質は変わりません。バケツ一杯の水をいくつもの小さなコップに分配してみたところで、その
 一つ一つのコップの中に入っている水の質は、おおもとのバケツの水と全く同じはずですね。

 ですから生年月日から知ることが出来る個人の宿命(空間エネルギーの状態)と、実際にその人が生
 まれ育っていく環境との接点からその人の運命が生まれてくるということ、これを理解して下さい。
 
 生年月日だけで全てがわかる、なんて考えてはいけないのです。


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2004.3.28(日) 「予言ではありません」



 先日、新たに入学を希望される方の為に簡単な説明会を行ないました。本編が終了したあとで、初心
 者の方のために個別に質疑応答の時間を設けたのですが、一番最後まで残っていた一人が私の前にす
 わると、いきなり○○学館や○習院の入学説明会かなんかでもらった星符(自分の星が書かれている)
 を出してきて、自分のことを鑑定してくれというんですよ(しかも無料で)。いやあ、この図々しさ
 にはさすがの私も呆気にとられてしまいました。「ご質問にお答えします」とは言ったが無料で鑑定
 すると言った憶えは全くないのですが・・・。

 例えば「講義が終わったばかりでお疲れのところ誠に恐縮ですが、少しだけ私の宿命の星を観ていた
 だけませんでしょうか?」とでも言われたら、「ああ、いいですよ」という気持ちにもなれるでしょ
 うが、この年齢不詳の男性はいきなり私の目の前にドン! とMDレコーダー(らしきもの)を置き、
 さあ早く鑑定しろとでも言わんばかりの態度なんですよ。

 大体いつも講義が終わると頭の中もかなりヘロヘロになっていて、しばらくは他に何にもする気が起
 こらないのですが、そういう状態のところへいきなり強力なのが来たもんで、こっちもどう対処しよ
 うかと戸惑いつつ、しょうがないから簡単に星命樹(人体星図)を観て性格鑑定だけしてあげること
 にしたんです。宿命の星を観れば、自己中心的で非常識で礼儀礼節に欠ける人だというのがはっきり
 わかるのですが、面と向かってそれを言ってケンカにでもなったらさらに面倒くさいので、まあ当た
 り障りの無い範囲でお話をしたのです。要するに、こちらとしてはとにかく早く帰って欲しかったん
 ですよ、その人に。

 ところが、私が星を一通り読んで 説明してあげたら「そんなこと私にだってわかりますよ。私だって
 四柱推命とかやってるんですから! もっと他の事を言って下さいよ」等とのたまうではありません
 か。ふ〜ん、このオッサン、私に挑戦してきているわけか? いや、そういうわけでもなさそうだ。

 私の方はこういう人の相手をまともにしようとも思わないので、適当な事だけ言って肝心なことは一
 切話さなかったのですが、相手の方は好き勝手にいろいろな事を話し始めて、それがどうも常軌を逸
 しているというか、ちょっと脳の回路がおかしくなっているようだな、という印象でした。

 この人は算命学に関しては全くの素人だが、将来は占い師になろうと思っている、そこでいくつかの
 学校や教室を回って、勉強するところを決めようとしている様子でした。
 しかしそれ以外に、10年程前にある霊能者から「あなたは本を出すと良い」と予言されて、さらに数
 年前にも同じ霊能者から「本を出してそれが爆発的に売れて、人気者になれる」という予言をもらい、
 すっかりその気になってしまい、それから上京してきて現在は自分で出版社を起ち上げるべく活動中、
 ということらしいのです。

 ところがどうも出版社を起ち上げる以前に、作家活動すらまともにしていないみたいだし、上京して
 きて数年が経過して、ちっとも状況が進展していない事に焦りを感じ始めているようでした。
 だから自分の本がいったいいつになったら出版できるのか、それを占って欲しかったようなのです。
 申酉天空象(天中殺)の人だったので、「本を出されるのなら、今年と来年は準備期間に当てて、再
 来年あたりを目指されるのが良いでしょう」と申し上げたら「○○学館では天中殺中に出したほうが
 売れると言われた」とおっしゃるんですよ。

 確かに人気取りということでしたら天空象の期間に売るという方法があるのです。しかし何でも天空
 象の時に出せばよいというわけではなく、出版物の内容にもよるわけなんです。
 そこで、「どのような内容の本を出されるおつもりなのですか?」と訪ねてみたのですが、これには
 明確な返答がなかったんです。
 つまり、この人は何か表現したいこと、世の中に伝えていきたいことがあって本を書こうとしている
 のではなく、「本を出してお金持ちになって人気者にもなれる」ということが第一目標であって、実
 際に何を書くのかは全然決まっていない様子だったのです、だからまだちゃんとした作品を書いたこ
 とがないみたいなんですよ、なんだか支離滅裂でしょ?

 ただ、必ず本は出るんだと言い切っていて、どうも今まではその親しい霊能者の予言だけが心の拠り
 所になっていたようなのですが、ちょっと不安になってきて他の運命学や占いではどういう答えが出
 てくるのかを知りたかったのでしょう。そういう切羽詰まった心理状態ゆえに、私に対しても図々し
 くて非常識極まりない態度しかとれなかったのかも知れない、まあ仕方がないかなあ。

 困ったことにこの男性は、とある霊能者による「予言」というものを信じて生きている。 この男性の
 頭の中では予言も占いもみんな同じもの、自分でも「予言」が出来るようになりたいと考えて、それ
 で算命学も習ってみようと思ったらしいのです。

 しかし、算命学は予言の術ではありません! 
 算命学には人間としてこの世に生まれた時に与えられた「生きる範囲」を知り、
 これまで生きてきた自分の過去というものを理解し、
 これから先の自分の未来を予測するための技術があります。
 人間の運命とは、宿命として与えられた「生きる範囲」と、実際に自分を取り巻く環境との接点から
 生まれるものです。いわば「選択可能な人生行程」なのです。

 技術的には生年月日によって明らかにされるその人の存在範囲を東西南北と中央という五方向に分類
 して、そこから先天命と、そして後天運を捉えていくことになるのですが、このような方法で人間の
 未来を占うわけですからそれは「いつごろ、どのような範囲に落ち着くのか」を予知・予測する技術
 であるわけで、霊能者の予言の類い等とは全く異なるのです。

 「何年後に○○が起こる」というやり方が予言、しかしこれは私は認めていません。

 人間の未来というものは決まっていないのです。でも、人生を大きな川の流れのようなものに例えて、
 それがどのような世界に向かって流れていくのかを予測することは出来ます。ただし、「空間の範囲
 を捉えて予測を立てる」という方法をとっているわけですから、その範囲の中に個々人の生き方、道
 の選択の仕方によって無数のドラマが生まれることになるのです。

 ですから、『万象算命』でしたら「これこれこういう生き方をした場合には、○年先にはどのように
 なるだろう」という予測はちゃんと、実に見事に立てられるのですが、 どういう生き方(進むべき道
 の選び方)をするのかという前提がなく、「あなたは○年後に本を出して人気者になります」なんて
 いう予言など、実に馬鹿馬鹿しい、ナンセンスの極みです。

 人間の運命において「○年後にどうなる」ということが初めから決まっているのなら、予言というも
 のもありえるでしょうが、人間の未来はあらかじめその全てが決定されているわけではない、決まっ
 ているのは肉体を構成する細胞はどんどん分裂し、精神(霊魂)は融合をし続けていくこと位です。

 人間には自由意志があります。もちろん環境によって制約を受けることはあるでしょうが、人間の意
 志そのものは本来まったくの自由です。だから未来に向かってどのような生き方をしていくのか、そ
 れを選択することが出来るのです。ということは未来は決まっていない、予知・予測は出来ても予言
 なんてものは有り得ないという事になるではありませんか?

 おかしな予言に振り回されている皆さん、目を覚まして下さいよ!

 予言者とか霊能者と称する人が「○○年に〜が起こる」なんて「予言」をすることがあるようですが、
 懐かしいところではノストラダムスの大予言ですか? 「1999年の7の月に恐怖の大王がどうしたこ
 うした」って奴がありましたよね。
 ここ数年ではインドのサイババとか、国内ではちょっとマイナーですがワールドメイトという宗教団
 体の深見東州という教祖(某有名予備校の経営者でもある)あたりでしょうか? 

 私は霊能力とか超能力というものに関しては否定しません。
 しかし自称霊能者、予言者というものについては全く信用していません。

 或いは宗教というものには素晴らしいものがあると思いつつも、既存の宗教団体とは一切拘わりたく
 ないのです。
 インドには「アガスティアの葉」と呼ばれる予言の書かれた葉の束が存在するといわれていますが、
 これもインチキです。多くの人が青山圭秀という人の本を読んですっかり騙されてしまい(まあ著者
 自身が初めに騙されていたわけですが)、わざわざインドまで予言の葉を探し求めて行ってしまった
 人も少なくないようですが、みんなインチキなんですよ。

 これらはみんな「そういうものが本当にあったら面白いな」という人間の心理を巧みに利用している
 んです。インドとか中国にはとても頭が良くて人間を騙すことをまるでゲームのように楽しんでいる
 人が少なくないようですから、そういうものとは一切拘わらないようにしたほうが良いと思います。
 時間とお金をムダに使って終わるだけですから。

 その昔、高塚光さんという超能力者が話題を集めたことがありました。私自身は直接のお付き合いは
 無かったのですが、彼の半生を描いた「タカツカヒカル〜未知への旅人」という映画では、私も音楽
 のレコーディングにシンセサイザー・マニピュレーターとして参加しています。彼のハンドパワーは
 (おもに病気治しです)それ以前からものすごい評判だったんですよ。

  不思議な縁で当時私がやっていた「ビートロジック」のスタッフの一人が高塚氏の個人事務所のスタ
 ッフの女性と結婚(私ははじめからこの二人が数年後に離婚することを予測していたのですが、やは
 りその通りになってしまいました)することになり、その結婚披露パーティに高塚氏も来ていたので
 すが、私の見ているすぐ近くで、他の出席者からキー(多分アパートとかマンションの)を拝借して
 それをちょっとさすっただけでクニャッとアメのように曲げてしまったので、その時はさすがに驚か
 されました(キーを曲げられてしまった人は相当に焦っていたようですが、あとでまたちゃんと元に
 戻してもらったみたいです)。

 ですから、本当に凄い能力を持っている人は確かにいるんです。しかしだからといって神様扱いして
 しまうのはいけません。そういうものにつけこんで、人集め金集めに利用しようとする輩が沢山いる
 んですから。

 例えば私の場合、講義をしている最中に突然ぱっと閃く事が少なくありません。あとで講義テープを
 聞き返してみると、まるで宗家(算命学の)の霊が降臨して、私の代わりに喋ったのではないかと思
 うほど凄いことを話していて、自分でも感心してしまう事があるのです。
 ここで商売のうまい人だったら、「実は宗家の霊が降りてくるんですよ・・・」なんて口コミで噂を
 広めて、高額な授業料をとって儲けるなんてやり方もありうるかも知れませんね。
 もちろん私はそんな悪徳霊感商法には全く興味ありませんが。

 そもそも『万象算命』は算命学の進化型、未来派算命学なんですから。
 もうかつての「中国占星術」ではないんですよ。
 
 もう一度はっきりと申し上げておきます。
 『万象算命』は予言の術ではありません。
 しかし人間ひとりひとりの未来をしっかりと予知・予測することが出来るもの、
 自己の可能性を見出して、真の自己発揮をしていく為のものなのです。

 

 

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2004.3.2(火) 「おみくじの効用について」



 数日前に神社のおみくじのことをちょこっと書きましたが、誤解のないように少し補足をしておき
 たいと思います。私は神社参拝というのは割と好きなほうです。時々、参拝してからおみくじを引
 くこともあります。ちなみに初詣のときに引いたおみくじは今までほぼ100%「大吉」でした。
 おそらく正月は「大吉」の分量を増やしているのでしょう。

 しかしながら、自分がお金を払って自分の為に引いたおみくじであっても、その内容は自分のこと
 について書かれているとはいえないのです。 もちろん「これが神様からのアドバイスなんだ」と信
 じたい方は、それもご自由です。

 それではおみくじを引くことは無意味なことなのか? というと、決してそんなことはありません。
 広げて端から読んでいくと、そこには思いもかけなかったことが書かれている場合が多々あります。
 それによって物事を捉える角度を変えてみたり、視野が開けたりといった、いわゆる「気づき」が
 もたらされる事があるのです。ポジティブ志向の人にとってはそのようなメリットが期待出来ると
 思います。

 おみくじに書かれていることが「当たる、当たらない」なんてことはどうでも良いことだと思いま
 すよ、だって人間の未来はもともと決定されていないんですから。
 書かれていることが当たることもあれば外れることもある、それは当たり前のことです。
 だから書いてあることが当たったとしたら、それは「まぐれ当たり」でしかないんです。

 人間の未来は決定されていないと書きましたが、ある程度成長した段階で、あらかじめその人に与
 えられた「生きる範囲(=宿命)」と「選択可能な人生行程(=運命)」を把握しておくことによ
 って、自分の未来にどのような可能性があって、どういう方向に進んでいって、そしてどのような
 範囲に落ち着きそうなのかは予測を立てることが出来るのです。

 そんなこと知らないでいたほうが面白い生き方が出来る、と思われる方も少なくないでしょう。
 仕事も私生活も何事もなく順調に進んでいる方にしてみれば、どうでもいいことかも知れません。
 でも現実に、順調でない方も実は沢山いらっしゃるわけです。どこかでボタンを掛け違えて、
 気がついたらとんでもない状況に陥っていた、でもなんとかして立ち直りたい、再出発したい、
 そういう方だって沢山いらっしゃるはずです。

 運が良いときと悪いとき、さらに運が不自然な状態におかれるとき(天空象)、あらかじめそれら
 を知ったうえで計画を立てていけば、ムダな出費や時間のロスを最小限にとどめることが可能とな
 ります。未然にトラブルを回避することも出来るのです。今、運気が低迷していたとしても再浮上
 のきっかけをつかむチャンスは必ず巡ってくる、それはいつごろ? どのように? ・・・

 そういう事を予知することが本当に出来るのです。
 『万象算命』は人間学であり、同時に未来予知の学問でもあるわけですから。

 人生は、全く動かずにじっとしているだけだったら、何も進展しないんですよ。
 人間の運命というものは“動き”の中にあるのです。

 

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2004.2.28(土) 「私が卜占をやらない理由」



 占い教室の入学案内書に目を通してみると、プロの占い師になる為には「命・卜・相」の3種類を
 マスターしていることが望ましい云々というような話が書かれていることがあります。

 「命」とは生年月日によって割り出される天体の位置や干支の構成によって宿命や運命を読み取る
 もの、『万象算命』や西洋占星術等がこれに相当します。
 「卜」とはタロットカードとか周易(あの筮竹という竹の棒を用いるもの)とか五行易(断易とも
 いう、八面体のサイコロとか複数枚のコイン等を用いるもの)等のように並べたカードや表れた易
 の卦から答えを見出すもの。
 それに「相」というのは手相とか人相、最近では風水、それに姓名判断もここに入るようです 。

 それらのうち、私は算命学が専門ですので、少なくとも人前では『万象算命』オンリーで、あとは
 方位を気にされる方のために限り方位術を用いています。手相とかタロット、姓名判断、それに周
 易や五行易等も以前一通りかじってはみたんですけど、どうも自分向きではないなあと思い、仕事
 では全然使っていません。

 つまり「卜術」や「相術」は普段全く使っていないのですが、それでもいまだかつて実践鑑定で困
 ったことは一度もありません。

 実は・・・。

 これはあくまでも私自身の考え方なのですが、「卜術」といわれるものって、本当に使えますか?
 タロットや易占い、おそらくはそれらを本当に使いこなせる人が何処かにいるのかもしれません。
 しかし、殆どの人は占いの手順をマスターするまでにとどまり、実際にちゃんと使いこなせていな
 いのではないかと思うのです。

 例えば、「カレとの明日のデートに、果たして相手は約束の時間通りに待ち合わせ場所に来るか、
 それとも遅刻してくるか?」というテーマで占ってみるとします。これをタロットで占うことにし
 て、手順にしたがってカードを並べてみます。そしてカードから答えを読み取るわけですが、解釈
 の仕方がどうであるかは別にして、果たしてそうやって目の前に並べたカードというものが、今
 自分が知りたい事柄に対しての回答であると、一体どうして云えるのでしょうか?

 つまり、
 (1)占いたいテーマを決めた。
 (2)カードを並べた(或いは易を立てた、でも良いです)。

 そして次にその並んでいるカード(易卦)を解釈していけば、占いの手順としてはそれで良いので
 しょう。しかし、今そこに並んでいるカードというものが、「自分の占いたいテーマ 」に対する答
 えであるという保証は全くないはずです。
 占いをする本人は占題(占いたいテーマ)を決めてカードを並べているわけですが、だからといっ
 て並べられたカードがその占題に対しての答えであるとは云えないんです。手順通りに占いをした
 んだから答えが出るのが当たり前、単純にそう思い込んでいるだけです。

 例えば神社に参拝して、100円でおみくじを買ったとします。 しかしながらそのおみくじに書かれ
 ている内容が、そのおみくじを買った自分に対してのメッセージであると、どうして云えるのでしょ
 うか? おみくじに書かれている内容と自分とを結びつけるものは一体何ですか? 

 ・・・ 実は、何もないはずです。

 易者さんに相談に行って、目の前で易者先生が筮竹を使って易の卦を出す。そしてその易卦を先生
 が判断してアドバイスをくれることになるわけですが、そこに表された易卦が自分が相談した内容
 に対する回答であると、どうして云えますか? 
 どういう理屈で目の前の易卦と自分の相談内容とが結びつくのでしょうか?

 これらは全て 、当事者達の思い込みでしかありません。どうやってカードを並べてみても、それ
 が自分の知りたいことに対しての回答であるとは云えないはずです。それを一生懸命に解釈して、
 その答えと自分自身とを結びつけようとしている。回答であるのかどうか何の保証もないものを、
 無理矢理占いの答えなんだということにしてしまう・・・。

 みなさんはこういうことに疑問を感じませんか?

 これから東に向かうか、西に向かうか、コインを投げてその裏表で判断するとします。でも、投げ
 たコインの裏表というのが、自分の問い掛けに対する答えであると、どうして云えるのでしょうか?
 これも本人が勝手にそう思い込んでいるだけの話ではありませんか?

 結局、コインだろうとカードだろうと、サイコロや筮竹、何を用いても同じことです。はっきり言
 えることは、それらによって得られた形が、自分の知りたい事柄に対して答えてくれているとは云
 えない、ということです。
 ただ、そうやって得た答えが実際その通りになった、つまり当たったという経験をすることによっ
 て、その占い方を信じるようになっていく、中には占断結果と自分自身の行為行動とを無理矢理結
 びつけて、当たったような気になっている人というのも少なくないでしょう。

 こういうことを「共時性(シンクロニシティ)」という考え方で説明しようとする人がいますが、
 それは違うと思います。

 ずっと大昔、亀の甲羅や鹿の骨等を焼いて、そのヒビの入り方、割れ方によって占いの答えを得る
 という習わしがあったといいます。でも、いくら最初に占いたいテーマを明らかにしておいたとし
 ても、ヒビの入った亀の甲羅がその答えを示してくれるという保証なんて、何処にも無いじゃあり
 ませんか! そこに関わる人々の思い入れだけ、ですよね。

 神の意志を知る方法、ということで大昔から沢山の方法が考え出され、試されてきました。
 神の声を直接聞く方法がなかったから、占いという手法を通じて、間接的にそれを知ろうとしたわ
 けです。でも、亀の甲羅のひび割れも、コインの裏表も、カードの絵柄も、それらが神様からの回
 答であるとは決して云えない、本人達の思い込みに過ぎないわけなんですよ、本当は。

 という理由で、私は卜占は仕事では一切やらないのです。趣味で断易はやるんですけどね。
 個人的に趣味で楽しむ程度なら別に構わないと思いますが、こういうもので他人の相談を受ける、
 運勢判断をする、というのはどうもねえ。

 中にはそういった道具を用いて、本当に神の意志を知ることの出来る人が何処かにいるのかも知
 れません。 占いをして、そこに神の意志が反映されるということが証明できるのであれば、それ
 らの占いも大いに利用価値が認められる事でしょう。
 そうすれば占いに用いる道具は別に何でも構わないわけですよね、カードやコインだけじゃなく
 て、トイレットペーパーや楽器なんかでもいいわけです 。

 しかし、殆どの人はそういった神の意志を知る能力、霊感能力のようなものを使いこなせてはいな
 いわけです。タロットなどを教えてくれる学校、教室はいくつもあるようですが、いずれも占いの
 方法を教えるだけで、実際にそれを用いて神の意志を知ることが出来る、と保証してくれるもので
 はありません。

 つまり、卜占に関してはそれを本当に使いこなせる人、神の意志を伺い知ることの出来る人という
 のはホンのごく少数、いや、もしかしたらゼロかも知れないですね。

 それらに対して『万象算命』というものは、神(=大自然)の意志を陰陽五行思考で分類し、解き
 明かしていくもの。干支が語る時空間そのものが、この世における神の働きを表しているわけです
 から、誰でも真剣に学べばちゃんと使いこなせるようになるんですよ。

 いよいよ3月からは講習会も再開されるし、創楽院の新しい入門科クラスも5月あたりから始めよう
 と考えていますので、興味のある方はドシドシお問い合わせ下さい。

 


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2004.2.24(火) 「あなたは神を信じますか?」



 「あなたは神を信じますか?」と問われたら、
 「あなたの云う神とはどのような存在なのでしょうか?」と問い返すかも知れません。

 算命学においては神とは「大自然の働きそのもの」、
 それを陰陽思考・五行思考で解釈し、人生に活用していくわけです。
 だから信じるとか信じないという事ではないんです。
 そこが宗教との違いです。

 私の場合、宗教関係の書物を読むことも少なくありませんが、特定の宗教団体に入信したいとまで
 は思いません。幼稚園はカトリック系で大学はプロテスタントだったんですけど、そういうのが
 キライというわけでは無いんですが、でもやっぱり神社の方が好きかなあ。

 大自然をそのまま素直に受け止めて、時間をかけてじっくりと観察することによって算命学の原形
 となるものの考え方が生まれました。それが陰陽五行という思考法なのです。
 人間も小宇宙、つまり初めから神の一部であるわけですから、自然の法則に従って生きれば楽だし、
 逆らって生きれば苦労する、だから自然の法則を学んでそれを自分の人生に活かしていけば、本来
 はそれで平穏無事に生きられるはずなんです。

 ところが平穏無事なだけじゃあ面白くない、もっとお金が欲しい、地位や名誉が欲しい、というよう
 に人間の欲望というものは際限がありませんから、みんな不自然な事をやり始める・・・。
 ずっと昔から地球上の至る所で不自然なことが頻繁に行われて、それが人類の文明というものを進歩
 発展させてきたわけですが、その代償として地球上の環境をメチャクチャにしてしまったわけです。

 それじゃあ人間の持っている欲望というものをキレイサッパリ捨て去ることが出来れば、素晴らしい
 世の中が出来上がるのかというと、それも違うんですよ。(この話を始めるとかなりの長編になって
 しまいそうなので、また機会を改めて書きたいと思います。)


 で、話がいきなり変わりますが テレビでオウムの地下鉄サリン事件関連の番組をやっていて、なんと
 なく最後まで観てしまったのですが、全然面白くなかった、つうか中途半端で何を言いたいのか全然
 解らない、単なる視聴率稼ぎの為の番組ですか? あ〜あ、裏番組のK-1観れば良かったなあ・・・。
 27日(金曜日)に教祖に対する判決が出るそうなので、それに因んで新聞もテレビも色々と特集を組
 んだりしているようなのですが、結局これら一連の事件の裏に潜んでいるもの、みんなそれには触れ
 ずじまい。教祖に死刑の判決が出て、それでこれらの事件は終結するんでしょうか? そうやって
 無理やり終わらせようとしていませんか? 本当にそれでいいんですか? どうして奥にあるものを
 明らかにしないんですか? ・・・等と言ってみるテスト。

 素朴な疑問なんですが、たかだか一万人規模の宗教団体にとって、テロを起こすことのメリットって
 一体何処にあったんだろうか? どう考えても信者獲得には結びつかないと思うんですが。
 教団に別の勢力が入り込んでそれに支配されていた、なんて事はないですかね?
 それにあの資金力、バックにスポンサーがついていなくちゃ無理じゃないかなあ?

 オウムの事件に限ったことではありませんが、いつだって我々国民は肝心なことは知らされていない
 んですよねえ、きっと。

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2003.12.05(金) 「プロセスを重視する、ということ」


 現実社会においては「世の中は結果が全てだ」と信じて疑わない人も少なくありません。でも本当は
 結果そのもの以上に結果に到るまでのプロセスが大事なはずなんです。例えば子供が学校のテストで
 100点満点をとってきたとします。それを喜ばない親はいないでしょう。でも大抵の親はそこまでで
 すね。100点という結果、数字が表している結果の部分だけを見ていて、そこに到るまでのプロセス
 は見ていない人が実際のところ殆どではないでしょうか? 

 つまりその100点がどういう素性の100点であるのか、しっかりと地道に努力を重ねて勝ち取った
 100点なのか、それとも単にカンニングに成功して得た100点なのか、一番大事なのはそういう部分
 なのではないでしょうか?
 
 100万円稼いで来た人がいるとします。真面目にコツコツと働いて正当に得た報酬としての100万円、
 或いは他人から騙し取った100万円、どちらも結果的に100万円を手にしたわけですが、そこに到る
 までのプロセスは全く異なっています。

 数字というのはそれ自体が結果として「大きい・小さい」、或いは「多い・少ない」という「量」を
 表すことは出来ますが、残念ながらそれが輝いているものなのか、はたまた腐っているものか、 そう
 いう「質」の部分を同時に表すことが出来ません。

 「質」の部分というのは言い換えれば結果に到るまでのプロセスの中身そのものです。同じ100万円
 でもキレイなお金・汚いお金という質の違いがあります。子供の試験の点数にも同様のことがいえま
 す。人間というものはそういった物事のプロセスの部分を重視するのか、それとも軽視するのかで成
 長の仕方が全く異なります。

  自分の周りの人達が自分が結果を出すに到るまでのプロセス(手段や方法、途中行程)を見てくれる
 のか、評価してくれるのかどうかによって能力をぐんと伸ばせたり、伸ばせなかったりするものなの
 です。プロセスを見てもらえるということは物事の表面だけでなく、自分の中身も見てもらえるとい
 うことです。親が自分の子供に対して、或いは経営者が下で働いている人間に対して、もっともっと
 そういう部分を重視していけば、子供も部下もよりいっそう能力を伸ばせるに違いありません。

 どんなに結果だけ取り繕っても中身がしっかりしていなければ真の反映はあり得ないのです。プロセ
 スを重視することによって、個々の人材の持ち味をもっと引き出せるはずなのです。

 現実の世の中では残念ながら全く逆のことが行われていることが多いようです。例えばプロ野球の世
 界では、今年優勝を逃した読売ジャイアンツが、資金力にものをいわせてまたまた他球団で活躍して
 いた大型打者の獲得に躍起になっているようです。

 要するに「四番打者クラスを沢山並べてガンガン打ちまくって、試合に勝って優勝すれば文句ないだ
 ろ!」という発想ですね。優勝という結果を出すことだけを考えれば、まあ確かにそういうやり方も
 あるのだろうと思います。

 しかしながらこういうやり方を繰り返していては、無名の新人として入団して地道に頑張っているい
 わゆる生え抜きの選手というのはまず育ちませんね。必死になって自分のポジションを獲得しようと
 頑張っていても、いつも外部から一流選手を引き抜いてくるものだから、いつまでたっても自分に
 チャンスが廻ってこない、これじゃあやる気無くしますよ。

 人材を育てるのは大変なことだし時間もかかるけれど、そういう努力を怠っている組織は将来的に繁
 栄は期待出来ません。自分の職場を愛せないでしょ、こんな組織に入っていたら。

 

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2003.10.03(金) 「松井選手のことで」



 ヤンキースに移籍した松井選手のことで、私あてにメールが送られてきたり、事務局に電話で問い合
 わせをしてくる人がいるようです。皆さん「松井は天中殺なのに活躍しているじゃないか、やっぱり
 天中殺なんてインチキだろう!」というような内容なのですが、これはどういうことなのでしょう?

 人間は天中殺の時期に活躍してはいけないのでしょうか? 

 どうもこのようなイチャモンをつけてくる方々は私の書いた本『天中殺も大殺界ももう恐くない』を
 読んで下さらなかったのか、それとも読んでも理解できなかったのか、相変わらず天中殺というもの
 を誤解されている方が数多くいらっしゃるようで大変に残念です。

 「天中殺というのは運の悪い時期なのだから、松井は活躍できない 」と思っていた方が多かったので
 しょうか? そういう方々に私の方からお聞きしたいのですが、皆さんは何故「天中殺は運の悪くな
 る時期」だと思われるのでしょうか?

 私は今までに出版した2冊の本を始めとして、教室での講義や講習会 、講演会等を通じて、

 「天中殺というのは運が悪くなる時期ではありません。
  そうではなくて運が不自然な状態になる時期なのです。」

 ということをもう何年も前から繰り返し申し上げてきているのに、まだまだ宣伝が足りないのか、解
 って下さらない方が多いようです。

 よ〜く考えてみて下さい、今地球上に60億の人間が生きているとしたら、そのうちの1/6にあたる
 10億人、或いはそれ以上の人達が常に天中殺に入っているのです。「運が悪くて何をやってもダメで
 破滅寸前」の人がそんなに沢山いるということでしょうか? どうしてそういう発想になってしまう
 のでしょうかねえ・・・。

 占いが好きだという方々の多くは、雑誌や本に面白可笑しく書かれていることを真に受けて、その真
 偽を追及しようとまではしない、本に「天中殺という時期は何をやっても上手く行かない」と書かれ
 ていたら、もうそれだけでビビッてしまい、ノイローゼになってしまったり、中には自殺まで考える
 人もいるという、これは大問題です。

 困ったことに、このようなタイプの人達は皆一様に、自らの運命をしっかりと受け止めて、それに立
 ち向かっていこう気迫とか根性というものが全く見られない。いつも何処かに逃げ道を求めていて 、
 その逃げ道を塞がれるような話を聞いたりするとパニックに陥ってしまう・・・。

 ちょっと厳しいことを申し上げてしまいましたが、逃げ道を探すということと開運するということは
 全く別世界なのですよ!

 少なくとも、今よりもっと運が良くなりたいと思うのなら、変なものに騙されないようにするために
 も、人間の運命の仕組みというものについて、最低限の知識くらいは身に付けておいて欲しい。その
 ために私のところではもう何年も前から講習会や通信講座などを開講しているのです。

 過去に算命学関係のいい加減な本がいくつも出版されてしまった為に、天中殺そのものも誤解された
 まま今日まで来てしまい、またそれを正そうとする動きがいっこうに見られなかった・・・、それど
 ころか天中殺ブームに便乗して生徒を集めたり、天中殺よけのお守りを販売したりというような、情
 けないことをやるところもあったようです。

 で、その後天中殺はきちんと認識されるようになったのかといえば、状況はそれほど改善されていな
 いようです。もう何年も算命学の教室に通っているという人でさえ、「松井が(天中殺なのに)活躍
 していますが、これはどうしてでしょう?」という質問をしてくるのですから、本当に情けない、い
 ったい他の学校ではどういう教え方をしているのだろう?

 私が『天中殺も〜』を書いたのもそういう状況をなんとか改めるキッカケを作りたかったからです。

 もう一度ここにはっきりと書いておきますが、

 「天中殺は運が悪くなる時期ではなくて、運が不自然な状態になる時期です。」

 だから予想に反して有名になってしまったり、本やCDがバカ売れしたりすることはいくらでもありう
 るのです。いわゆる人気商売、スポーツ・芸能関係においては特にそういうことがある、ただし!
 運が不自然な時期にスタートしたものはやはり不自然な終わり方になりやすいのです。

 「運が不自然な状態になる時期」とはどういうことなのか、もう少し説明を加えてみます。既に本を
 お読みいただいた方はご存知だと思いますが、算命学においてはまず「人間は小宇宙である」という
 考え方が根底にあるのです。

 そしてこの宇宙は空間と時間とによって成立している、これは「陰陽論」という発想が基になってい
 るのですが、宇宙の空間と時間に対応するものが小宇宙である人間にとっては霊魂と肉体になるので
 す。肉体があって現実に行動することによって時間というものを認識し、霊魂があって様々な思考を
 めぐらせることによって空間というものを認識しているわけです。

 その空間と時間との間には常にどこか不自然な融合状態となっている部分があり、それが2年とか2ヶ
 月という周期で場所を変えていく、それを天中殺と呼んでいるわけです。

 この空間と時間の不自然な状態を小宇宙である人間に置き換えて考えてみると、その人の行動と思考
 との間に不自然な状態が起こる時期が周期的に表れる、ということになるわけです。つまり、勘違い、
 思い違い、判断ミスというものが生まれやすい状態なのだと思って下さい。判断ミスをしやすい時期
 だからこそ、慣れないこと、新しい事は始めるなというアドバイスをしているのです。

 ですから、本人が勘違いしてやったことが、逆に周りでは大ウケしたりというケースもあるわけだし、
 いつもの自分だったら絶対に好きにならないような人をすっごく好きになってしまったり、というよ
 うな事もあるでしょう。運が不自然な時期なのに本人はその不自然さに気づかぬまま、色々なことに
 手を出してしまう、またやってみたくなる時期なんです。

 天中殺の時期にスタートした物事は、その後時間の経過とともに不自然さが露呈されていきます。そ
 の時期は個人差があって一概にはいえませんが、早い人はその天中殺の期間中に現象が現れますし、
 遅い人でも天中殺の期間を過ぎてから数年間にうちに現象が現れてきます。 天中殺期間中の結婚や転
 居、転職など、皆そうです。

 いま私は不自然さが露呈される、とか現象が現れると書きましたが、ここに注意して下さい。
 禍(わざわい)が表れるとは書いておりません! 
 天中殺の期間中における行動の全てが判断ミスを引き起こすとは誰も言っていないのです。
 
 わかりますか?

 例えば天中殺の時期にそうとは知らず結婚した、でもその後何も問題なく上手くいっている、そうい
 う方だって沢山いらっしゃいます。これは結婚の決断をする際に判断ミスを犯さなかったからだ、と
 考えることが出来ます。運が悪い時期ではなくて、運が不自然になる時期なのです。その違いを解っ
 て下さい。天中殺の期間中だとはいえ、運良く判断ミスを犯さなければ、結婚だけでなく転職も引っ
 越しも問題ありません。

 さてそこで松井選手です。

 今年はメジャーリーグに活躍の舞台を移し、ニューヨークヤンキースの一員としてプレーしました。
 試合数は日本のプロ野球の140試合よりもずっと多く163試合。 しかも全試合出場というのは大した
 ものだと思います。打率が.286で打点が106、そしてホームランは16本。打点の106は見事な数字
 ですね。

 『天中殺も〜』でも書いておきましたが、松井選手は日本を代表する選手です。もともとモノがちが
 うのだからそこそこの成績は上げられるのではないか、と書いた私自身の予想ではホームランが25本
 から30本、打率は3割をちょっと欠ける位、そして打点は80から90点止まりかなあと考えていまし
 た。

 松井選手はホームランをガンガン打つタイプの選手だと信じていましたから、163試合で16本という
 ことは10試合でようやく1本というペース。これはいくら何でも悪すぎる数字です。何しろ昨年は日
 本で打率.334、打点が107、そしてホームランは50本も打っている偉大な選手ですよ(2.8試合で1本
 というペースでした)。あと一歩のところで三冠王は逃しましたが、今の日本のプロ野球界ではもっ
 とも遠くへ打球を飛ばせる選手のはずです。

 もちろん日本とメジャーじゃあレベルが違う、そう考えている人もいらっしゃるでしょう。確かにパ
 ワーとスピードではかなわないかも知れませんが、技術そのものは日本でトップの選手はメジャーで
 も十分に通用する、それはイチロー選手やピッチャーでは野茂、佐々木といった人達の活躍を見ても
 明らかだと思います。

 今年の松井選手はやはりメジャーのパワーとスピードに対して、少しずつテクニックで勝負をするス
 タイルに変えていきました。そのためにホームランの本数は激減したけれど、チャンスにしっかりと
 打って打点を稼ぐことが出来たのだろうと思います。そういう柔軟性も持ちあわせている選手である
 ことを知り、改めて彼の偉大さを再認識した次第です。

 でも、豪快にホームランを打ち続けていた従来の松井選手のイメージとはかなり異なっている、器用
 で勝負強い中距離ヒッターという感じになってしまいましたね。彼の今年のシーズン中における試行
 錯誤が、天中殺期間が終わる来春以降、どのように影響していくのかについては冷静に見守っていく
 必要がありそうです。本当はスタイルを変えずに行ったほうが良かったのですが・・・(天中殺とい
 う観点からも、また一ファンとしても、です)。

 ところで、松井選手は天中殺の期間中に海外に移住したわけですが、これはやはりお奨めできないも
 のです。この結果が今後数年のうちに不自然な現象として表面化してくる心配があります。彼はプロ
 野球選手ですからマスコミもそこを中心に報道する、プライベートな部分でどういうことが起こって
 いるかまではあまり取り上げていません。

 しかし、天中殺の現象というものは仕事面だけでなく、私生活においても現れてくるものです。まだ
 プレーオフの最中ではありますが、彼自身今年は相当なエネルギー消耗があったのではないかと思い
 ます。まだ29歳と若いとはいえ、無理を重ねて選手寿命が縮まないといいのですが・・・、日本プロ
 野球界の至宝ですからねえ。早めに帰ってきたほうがいいと思うんだけどなあ。
 

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2003.06.01(日) 「ツバメの巣」



 いよいよ6月、ますます暑くなっていきますね。実は、創楽院のエントランスの真上、5メートルほど
 のところに何とツバメの巣があるのです。4月に入ってから、なんとなくエントランスの周辺が汚れて
 いるのが気になっていて、原因は何だろう? いくら本が売れたおかげで鑑定所に来られる方が増え
 たといっても、こんなに泥だらけになる筈がない、と思っていたらビルの大家さんから

 「毎年この時期はツバメが巣を作っているのでヨロシク云々」って・・・

  おいおい、契約の時にはそんな話出なかったよ〜。まあ相手は自然界の住人ですから文句をいっても
 しょうがないわけで、巣作りが上手いのか下手なのかよくわかりませんが土やワラのようなものが毎
 朝かなり落ちているんです。

 で、それもようやく落ち着いてきてある日の朝見たら、なんと卵の殻と一緒にツバメのヒナが落ちて
 死んでいたんですよ。生まれたときに運悪く巣から落下してしまったのでしょう。

 なんだか可哀想だなあ、親ツバメもきっとすごく悲しんでいるんだろうなあ、とその時は思ったんで
 すが、その翌日たまたま大家さんに会ったのでその話をしてみたら、

 「生まれてきても弱いヒナは親がわざと巣から落として殺してしまうんですよ」ですって!? 
 
  私は一瞬ガ〜ンとショックを受けましたが、改めて自然界の厳しさみたいなものを思い知らされたよ
 うな気がして、それと同時にその厳しさが大自然の秩序とバランスを保っているのだということを再
 認識させられた次第です。

 人間世界だったら、生まれてきた赤ちゃんが弱っていれば最新医療技術をもってその幼い生命を助け
 ようとします、誰でもそれが当たり前のことだと考えます。しかし考えてみると、そういうことをや
 るのはこの地球上において人間だけなのでしょうね。

 算命学では人間は小宇宙である、大自然の一部であると考えているわけですが、そうでありながらも
 我々人間は自然界の法則に逆らっている部分が多々ある、人類が今日までかけて築き上げてきた文明
 そのものが、そうやって進歩発展してきたことになるわけです。

 だからといって人間の文明を否定するわけではありません。始めのうちは誰も大自然のバランスを故
 意に破壊しようと思ってはいなかったと思います。でも、途中からは気付いていたはず、いずれどう
 しようもないところまで行ってしまう事はもうとっくの昔からわかっていたはずなんです。

 環境破壊というもの、その責任は全て人間にあります。他の動物たちには何の責任もないのです。

 自然界のバランスがおかしくなってしまったのは全て人間のせいです。おかしくなってしまった自然
 界のバランスはいつしか元に戻ろうとする力が自動的に働きます。自然界とはもともとそういう世界
 です。するとそれがいつしか天変地異という現象として表れることになるわけです。

 極論すればこの地球上においていったん人類が滅びてしまえば、そこからまた地球自体は本来のバラ
 ンスを取り戻すことになるのでしょう。でも、それじゃあ人間達の立場はどうなるんだ? いまさら
 文明を放棄して自然に還れと云われたって出来ることと出来ないことがある、そもそも欲望に任せて
 自然を破壊し、それを補うためにまた別の部分を破壊し、というような事を繰り返して人類は進歩し
 てきたわけです。しかもその裏側にはお金とか巨大な権力が絡んでいるわけですから、話は簡単では
 ありません。

 結局はこのまま自然界のバランスを破壊しながら行けるところまで行くしかないのでしょうか?

 我々がこの世に生まれてきた目的は一体何だったのでしょうか?

 バランスが崩れておかしくなっている地球の上で、我々がするべき事は何なのでしょうか?

 人間としてこの世に生きている以上、何らかの役割があるはずです。役割のない人間というのはいま
 せん。日々の生活を通して、様々な経験を積み重ね、沢山のことを学び、いろいろと得るものがあり
 ます。それはお金だったり、他人からの評価だったり、或いは人生哲学、悟りのようなものだったり
 します。
 
 でも、このアンバランスな状態に陥っている地球の上で、そのように生きることそのものが、人間の
 目的なのでしょうか?

 私は違うと思います。

 『万象算命』では人間を取り巻く自然世界を大地の上の5つの方向に分類して考えます。 北方、東方、
 南方、中央、西方という5つの方向です。この世の現実に生きるということが、その5つの方向におい
 て展開されると考えていくわけです。

  そしてこれらの方向には未来と過去がある、つまり進んでいく方向というものは始めから決まってい
 て、現実有形世界の未来は東方となり、西方というのは東方未来に進んだ結果、過去として蓄積され
 ていく世界となるのです。精神無形世界の未来は南方となり、北方というのは南方未来(夢、希望、
 憧れ)に進んだ結果、人生哲学、悟りとして蓄積されていく世界となるわけです。

 ただし、人間の心(=存在意識)というものはこの5つの方向の全てを包含した上に「在る」のです。

 5方向の中の中央 という場所は、現実に自分のおかれている立場を表すものですが、イメージ的には
 ここから天空に向かって真っ直ぐに線を延ばしていって、その途中に「在る」のが人間の心(=存在
 意識)ということになります。

 大地の五方向においては東方未来、南方未来があるわけですが、そうやって現実の世の中を生き抜き
 ながら、実は人間の心(=存在意識)そのものは中心軸上を天空に向かって進んでいこうとしている、
 つまり、東方、南方に加えてもう一つ天空に向かっているものがあるということなんです。

 ただしこれは時間の法則を超越しているもの(大地を離れているから)となりますから、天空に向か
 っての進み具合には相当な個人差があるといえます。これが言い換えますと心の次元の高低というも
 のになるわけです。

 私がこれまで書いてきた本の中でも多少触れてきた「心の進化」というもの、或いは「安心の気」と
 いうもの、それをこれから解説していく為の前段階としてまずここまで。

 続きはまた書きます。

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2003.04.16(水) 「万象算命誕生秘話」



 もともとこのサイトは私、算命学者・伯耆弘徳(ほうきひろのり)が個人的に算命学の素晴らしさを
 より多くの皆さんに紹介したい、という主旨でスタートしたものです。今から3年半ほど前、1999年
 の9月あたりからだったと思います。

 『万象算命』というネーミングも、始めはこのサイトの屋号のようなつもりで命名したものだったの
 ですが、段々と私自身の「算命学」の名称そのものになってきてしまいました。

 このサイトを立ち上げた当時はまだ他の2つの学校で講義や鑑定をやっていましたので、コンテンツ
 の中身には十分に気を使っていたつもりだったのですが、それでも「宗家一門の人間が何故勝手なこ
 とをやっているのか」と総本校の上層部からクレームがつきました。

 あちらの言い分は「礼儀礼節に欠ける」ということだったようです。一個人のホームページにまでそ
 ういう規制をしてくるとは思ってもみなかったので、その時は本当に驚きました。別に宗家一門を代
 表してサイトを立ち上げたわけでは全くなかったので、これには面食らいましたね。

 それに加えて総本校の鑑定室以外では鑑定するなとか、出張鑑定なんて下劣なことはやめろ、という
 理不尽な要求まで突きつけられたのです。要求に従わなければ鑑定人契約を解除し、以後算命学の使
 用を禁じるとまでいってきたのです。つまりこれでは総本校以外の場所では活動してはいけないとい
 う事になってしまい、じゃあ一体どうやって食べていけというのでしょう?

  その当時は別に私自身、自分の一派を興そうなんて夢にも思いませんでした。単純に、良いものを多
 くの人に知らせたいという発想で作ったサイトのつもりでした。別に私は総本校の職員ではないし、
 既に卒業し、算命学鑑定所開設の許可も、算命学を教授する許可(教授公認証)も取得していました
 し、それ以外には鑑定人として契約をしているだけで生活の保障をしてもらっているわけでもないの
 に、何故そういうことを言われるのか大変理解に苦しみました。

  さらに他校で講師をしていることさえ問題視され、教務主任からは「なんであんなところで教えてい
 るのか? それじゃあこちらでは使えない。あそこの学院長の宗家に対する非礼の数々は一門の中で
 も有名ですよ!」とまで言われてしまいました。教授公認証を取得していても、まさか教える場所ま
 で規制されるとは知りませんでした。

 そのあたりから総本校との関係がギクシャクし始め、またそれに連動するかのようにもう一つの学校
 からも「学院の方針にそぐわない」「あなたのは学問じゃなくて占いだ」等という不可解な理由で講
 師契約を新学期の講義が始まる2日前に突然解除され、結局殆ど同時期に両校と訣別する羽目になり
 ました。何だかまるで舞台裏で双方のトップ同士が申し合わせたのではないかと思わせるようなあざ
 やかな追放劇でした。このサイトを立ち上げてから僅か半年の間にまるで映画かTVドラマのようなシ
 ョッキングな展開があったわけです。

  そして2000年の春、私はとうとう本格的に『万象算命』という名称を前面に出して活動していくこ
 とになったのです。

 


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2002.09.15(日) 「天中殺除けのお守り?」



 つい先日のことですが私の事務所に突然一本の電話がかかってきました。

 受話器をとるとおそらくは40代後半から50代半ばあたりの男性の声で、

 電話の男性「(何か問題を抱えていてとても困っているような感じの声で)あのう、そちらでは天中
        殺除けのお守りとかは扱っていませんか?」

 私「!?・・・。いや、こちらではそのようなものは扱っておりませんが」

 電話の男性「(がっかりしたような声で)ああ、そうですか〜。・・・わかりました、どうもすいま
        せん・・・」

 これだけ、時間にしてほんの10秒程度の会話だったと思います。あくまでも推測ですが、この電話
 をかけてきた人は今年自分が天中殺に入っているということを知っていて、しかも何か大変な問題を
 抱えていてとても困っている、そこでその天中殺からなんとかして逃れたい、祈祷とか御守りのよう
 なものでなんとかならないだろうかと考えたのでしょう。

 会話が始まる以前の問い合わせの時点でこの人は電話を切ってしまったので、何のアドバイスもして
 差し上げることが出来なかったのですが、ひとつ私が気になったのは、

 「天中殺というものはそれ用の御守りを身に付ければ避けられる(のでは?)」

 と思っている人が世の中に少なからずいるのではないかということでした。残念ながらそのようなも
 ので天中殺を避けることは出来ません。よくいわれる厄年のようなものだと勘違いされている方もい
 らっしゃるようですが、それとも全く違います。

 かつての天中殺ブームからもう20数年、天中殺という言葉は有名になりましたが、実際にそれがどう
 いうものなのかに関しては残念なことに世間では未だに全く理解されていないようです。

 「天中殺の時に何かを始めると全て破滅に至る」というセリフをそのまま信じて、何だかよくわから
 ないがとにかく恐ろしい期間が2年間も続くんだと、その間は何をやっても上手くいかず、事故や
 怪我等に遭いやすく下手をすれば命を落とす、病気にもかかりやすく、家族や身内にも不幸が起こり
 やすく、商売は上手くいかないし、恋愛も結婚も全てダメ、就職は勿論のこと転職も大失敗、とにか
 く何をやっても全てダメなんだ、破滅なんだと思っている人がいるらしいのですが・・・、


 そうじゃないんです!!


 確かに気を付けなければいけない時期ではあります。しかし2年間もの間、天中殺にひっかからない
 ようにと何もしないでじっとしてなければならない、2年間もの間、ずっとビクビクしながら暮らし
 ていかなければいけないというようなことでもないのです。

 ところがこの天中殺という言葉を悪用して、相談に来た人達に対して祈祷や呪い(まじない、と読ん
 でください)をしたり、天中殺除けの御守だの護符(お札)を売りつける輩が実際にいるらしいので
 す。はっきり申し上げますが、こんなものにいくらお金を払っても何の効果もありません。

 天中殺は大自然の法則です。人間の力で変えることは絶対に出来ません。

 第一に、神様(=大自然)の力はお金では買えません。お金を作ったのは神様ではありませんし、お
 金というものは人間世界でしか通用しないものです(『万象算命』ではこの大宇宙、大自然そのもの
 を大いなる神のはたらきであると考えています。)

 だからこそ目に見えない世界に関するものにお金を使う場合は、そのあたりを十分によく確かめる必
 要があるのです。現実の人間世界でしか通用しないもので大自然の法則を変えることは出来ません。

 つまり神様はお金では動かない、ということです。

 人間は常に大自然にチャレンジしながら(破壊しながら)今日の文明を築き上げてきました。その結
 果、今どういうことになっているか、皆さんも良くご存じだと思います。現実の進歩発展向上に対し
 て精神面が疎かにされてきた・・・、人間という存在は現実的な面と精神的な面によって支えられて
 いますが、双方のバランスがとれていないとダメなのです。

 現実優先で精神的なものは後回しでいいやということで、ずっと精神的なものを疎かにしたまま今日
 まで来てしまったわけですから、世の中がおかしくなるのは当然なのです。 

 よく「私たちの地球」という言い方をしますが、この星(地球)は我々人類の所有物ではありません。
 人間が人間として生きていくために借りているもの、の筈です。この星(地球)の住人で、大自然を
 ことごとく破壊し続けてきたのは人間だけです。人間以外の生き物は全て皆、大自然の法則に従って
 生きています。それに逆らっているのは人間だけなのです。しかしどこまでいっても人間は大自然の
 法則(=神なるもののはたらき)そのものを変えることは出来ないのです。

 そもそも天中殺の正体がどういうものなのか、それをご存じない方があまりにも多い、実態がわから
 ないから、どう対処して良いかわからないから、ますます恐ろしいものという受け止め方になってい
 ってしまうのでしょう。

 天中殺は大自然の法則なのだから、それを正しく理解しておけば何も恐れることはないのです(ちな
 みに『万象算命』では既に「天中殺」という呼称は用いずに、「天空象」と呼んでおります)。


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2002.04.16(火) 「同じ生年月日の人は皆同じ運命になるのですか?」



 きょうも「同じ生年月日の人は皆同じ運命になるのですか?」という質問を受けました。同様の質問
 をよく受けるのですが、これは「生年月日が同じでも、ひとりひとり皆異なる運命になります」とい
 う事をこれをご覧になっている皆さんにも是非わかっていただきたいのです。

 おそらくこのような質問が出てくるのは、

 「同じ生年月日→同じ星が算出→鑑定の答えが同じになる・・・」

 という風に考えていらっしゃる方が多いからなのだろうと思います。確かに同じ生年月日でしたら生
 年、生月、生日の干支は全部同じになりますし、星命樹に表出する宿命の八個の星も全く同じ並び方
 になります。つまり、専門的には生まれた日に宇宙から与えられたエネルギーは皆一緒であるという
 ことですが、実際にはそのエネルギーの使い方が皆さんひとりひとり全く異なる、つまり個々の星の
 燃焼度合い(輝き方)が皆さん全て異なっていくわけです。

 何故ならば同じ日に生まれたとしてもその人を取り巻いている環境というものは全く違う、つまり現
 実に生きていく上においての条件がスタートラインからして全く異なっているわけです。与えられた
 環境によっては、自分の星を活かしやすい人もいれば、宿命がことごとくねじ曲げられてしまう、つ
 まり本来の持ち味を全く発揮できないままの人も沢山いらっしゃるのです。その違いが同じ日に生ま
 れた方が1万人いたとしたら、1万通りの運勢をつくり出していく事になるのです。 

 算命学では「宿命と環境との接点から運命が動いていく」と考えているのです。
 そしてその宿命と運命とをあわせて、「運勢」と呼んでいるのです。 

 それともう一つ、生年月日を用いる占いといいますと、「出生時間まで細かく観ないのか?」という
 質問をされる方がいらっしゃいます。確かに生まれた時間まで細かく正確に算出すると、素人目には
 より詳しい占いが出来るように思われるかも知れません。しかしながらそれはどういう鑑定方法
 (占いの技術)を用いるのかによっては全く意味を成さない事なのです。

 出生時間を細かく捉えることと、運勢の読み取り技術が細密になることとは、実は話が別で直接には
 関係がないのです。

 特に算命学の場合、時間を占っているのではないのです。ちょっと専門的になりますが、時間の上に
 乗っている空間の範囲を捉えているのです。その人に宿命として与えられた生きる範囲、空間の範囲
 を捉えるために生年月日を用いているに過ぎないわけであって、つまり時間占いではなくて空間占い
 だ、というところが他占術と大きく異なるのです。

 ちょっと話が難しくなってきたかも知れませんが、
 この手の話に興味があったら是非教室の方へいらして下さい。

 算命学ではこの世は時間と空間とによって成立していて、その空間と空間との間に生じる動き
 (ズレ)によって二次的に発生するのものが時間であると捉えています。

 つまり天空があって、大地があるとします。天空に輝く太陽が東から西に移動した、・・・これは
 天空という空間にある存在物と、大地という空間にある存在物とがそれぞれ異なる方向に移動するこ
 とによって認識できる現象です。この移動、すなわちズレをもって時間の存在を認識できるわけです。

 日時計というものをご存じですか? 地面に棒を立てて、太陽の光を受けて地面に棒の影が出来る、
 その影が太陽の動きと共に移動するのを観察して地面に印をつけていく、それによって時を知るもの
 です。古代の人達にとって時間とは、空間(の中の存在物)が場所から場所へと移動していく、それ
 によって認識されるものだったわけです。

 皆さんは十二支という時間を表す符号があるのはご存じですね?
 「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い」というやつです。

 ちなみに今年(2002年)は午(うま)年、正確には壬午(みずのえうま、算命学の世界では通常
 ‘じんすいのうま’と呼んでいる)年となっています。

 この十二支という符号も厳密にいえば、時間そのものを表す符号ではなく、もともとは時間が通過し
 た場所と方位を表す符号だったのです。かつて古代中国では天空の場所と方位を表す符号を十二次と
 呼び、大地の場所と方位を表す符号を十二位と呼んでいました。

 それが後になって双方を共通の符号で表すことになり、それで十二支が誕生したといいます。国民達
 にわかりやすく覚えやすい名称を、ということもあって12種類の動物の名前をあてはめたのです。

 さて、話を元に戻しましょう。

 これを宇宙と地球との間で考えてみることにします。この宇宙の中に地球という星が現実に存在する
 ならば、宇宙という空間と、地球という空間との間にも時間が存在するはずです。何故なら、ここで
 もし時間が存在しないとするならば、それは「この世」ではなく「あの世」ということになってしま
 うからです。紛れもなく地球は「この世」に存在しています。ですから理屈の上から時間が存在する
 はずなのです(厳密に申しますと、この世は正の時間、そしてあの世は負の時間、という捉え方にな
 ります)。

 ではその「宇宙の中の地球」の存在を証明するとしたら、どうすればよいでしょうか?

 実は地球という星は自転をしています。一日かけて一回転するのは皆さんもご存じだと思います。つ
 まり、自転をするということは宇宙という空間と地球という空間との間に「移動=ズレ」が発生する
 わけですから、当然そこに時間が発生する、それによって地球がこの世に現実に存在することが証明
 されるわけです。

 そうしますと、大宇宙の中においてはホントに小さな小さな存在でしかない地球にとって、自らが存
 在していることを証明するのは「地球の自転」、つまり地球が動いているか・いないかという部分に
 かかっているわけです。そしてその自転に要する時間が一日、ですから算命学はこの一日という時間
 を宇宙の時間の最小単位として捉えているのです。

 どれくらい廻ったかは関係ないのです。1/2回転なら半日だとか、1/4回転なら6時間だろうという
 ような発想ではないのです。地球という天体を大宇宙のあらゆる角度から眺めてみて、動きがあるの
 か?、ないのか?、それだけです(これが陰陽思考というものです)。

 あくまでも空間が主体、時間は二次的なものだという考え方をしているのです。だから動いているな
 ら、自転をしているなら、どこが基点になろうとも一回転すれば一日なのです。

 重要な点は、一日が24時間であるかどうか等はここでは問題にしていないということ、それに気が付
 いて下さい。廻ったら一日、ただそれだけなのです。

 このあたりの発想は全て古代中国において生まれた「陰陽論」によるものです。干支暦というものも
 このような発想を元にして成立していったものです。

 いいですか? 干支暦は一日が24時間であるとは保証していないのですよ。地球が一回転したら一日
 だと、日干支はそうやって毎日一つずつ変わっていくわけです。

 干支はこの世においては60種類しか使えませんから、日干支は60日(約2ヶ月)で一巡りすることに
 なるわけですね。また、年干支は60年で一巡りすることになりますし、月干支は60ヶ月、すなわち
 5年で一巡りすることになるのです。

 ただし、これら年干支・月干支・日干支の組み合わせは60×60×60・・・というようにはなりませ
 ん。月干支はその成立に別の理論が用いられていますので、年干支と月干支の組み合わせは720種類
 にしかならないのです。

 実際にはさらに各干支にそれぞれ蔵干二十八元というものが付加されて、またそれがその月の節入り
 から何日間のところで生まれたかによって初元・中元・本元というように様々な表出の仕方を見せる
 ために、理論的には全く同じ干支・蔵干の組み合わせは5000年ほど経過しないと巡ってこないとい
 われています(干支暦の素晴らしいところは、これが二十四節気という一年の間の地球と太陽との位
 置関係を捉える概念によって、毎月のスタートである節入りをしっかりとアジャスト出来る点にある
 と思います)。

 ちょっと横道にそれてしまいましたが、結局、大宇宙と地球との関係から時間というものを捉えてい
 けばそこでの最小時間単位は「一日」である、ということになるわけです。「陰陽論」に基づいて考
 えていきますと、地球と宇宙との関係においては「一日」以下の時間というものを考慮する必要がな
 いのです。そうやって創り上げられていった干支暦を用いて生年月日を表して、そこから宿命を読み
 取ろうという技術が算命学の占いなのですから、この技術を用いる上においては“出生時間は必要な
 い”ということになるわけです。

 このように生まれた日に宇宙から与えられたエネルギー、その「空間の範囲」を明らかにしていくの
 が本当の算命学占術なのです。ですから出生時間とか出生地いうデータがあったとしても、技術的に
 はそれを用いる必要が全くないのです。その日の朝に生まれようと夜に生まれようと、その日に与え
 られた「空間の範囲」は変わらない、ということです。その「空間の範囲」が即ち宿命と呼ばれてい
 るものであり、またその人の運命行程のスタートになるわけです。言うなれば、誕生日をスタートポ
 イントとしてその人独自の暦を作り出すことができるわけで、この発想がその後の「算命図式」の作
 成という技術を生み出していったのです。

 生年月日と出生時間を全て干支で表して、それを占うのが四柱推命と呼ばれている占いです。生年干
 支、生月干支、生日干支、生時干支というように4つの柱を並べるのでその名前が付けられました。
 この四柱推命には上記の算命学のような時間と空間の概念はありませんから、単純に暦を使って干支
 を並べて、出てきた八字を眺めて占っていく、算命学が空間占いだとすれば四柱推命は時間占いとい
 うように、両者は一見似ているように見えますが、実は全く異なる占術であると考えるべきなのです。

 その昔天中殺ブームを引き起こした和泉宗章さん(故人)の著作は、実は算命学の時空論について触
 れておらず、そのせいもあって四柱推命もどき、三柱推命と叩かれてしまい、本は売れましたが専門
 家筋では大いに非難を浴びました。

 しかしこれは仕方がなかったのです。何故なら、算命学宗家・高尾義政先生(故人)の初期のお弟子
 さん達はそのようなむずかしい理屈は教わっていなかったのですから。宗家が算命学の教授を始めら
 れたのは昭和47年からでしたが、初期のお弟子さん達には「中国占星術」という事で、平面五行主体
 の簡単な占い技術しか公開されなかったのです。その後、実際により専門的な講義を始められたのは
 昭和55年あたりからだったそうです。つまり、「原典算命学大系全十一巻」の出版がこの頃からでし
 たので、そのあたりからようやく立体五行説を前面に打ち出した高尾算命学の神髄が公開され始めた
 と考えて良いでしょう。

 そう考えますと、ここでようやくひとつの疑問が解けるのです。何故宗家は昭和54年当時、ご自分で
 は著作を出されずに、弟子の一人でまだ勉強途中の和泉氏に「算命占星学入門」の出版を許可したの
 か?

 宗家ご自身は既に本物の高尾算命学を公開する準備を着々と進められていたわけですから、それまで
 弟子達に講義してきた「中国占星術」に関してはおそらく全然執着がなかったのでしょう。だから和
 泉さんの本が売れようが、世間から叩かれようが宗家ご自身にとっては大した問題ではなかったのだ
 ろうと思われます。

 ただ、「天中殺」というものを含めて世間からは随分と誤解を受けてしまったような気がしますし、
 未だにそれが尾を引いているように思えるのは私だけでしょうか。

 亡くなった和泉さんは算命学の大家でも何でもありませんでした。ただの勉強途中の弟子の一人だっ
 たのです。それが異常なブームに乗せられて、自分でもどうしようも出来なくなってしまった、もっ
 と時間をかけて勉強してから本を出したら、また違った展開になっていたかも知れませんね。

 ただ、後年彼は「算命学はウソだ」という発言を繰り返していたようですが、自分がきちんとしたも
 のをマスター出来なかったからといって、そういう態度しかとれないというのは実に情けない、残念
 な事であるといえましょう。「占い告発」「占いの謎」などのような引退後の和泉さんの著作に目を
 通してみますと、むしろその本自体が内容に矛盾をはらんでいる、ああ結局この人は算命学を理解出
 来なかったんだなあ、ということがわかってしまうんです。

 さて、手前ミソではありますが、私の『万象算命・創楽院算命学塾』は何事も包み隠さずに算命学占
 術の実践鑑定に必要な技術と理論を懇切丁寧にお教え致しております。東京まで通えない遠方の皆様
 には間もなく通信教育の方がスタートしますので、この機会に是非入学をご検討下さい。
 

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2002.03.03(日) 「創楽院算命学塾スタート」



 いよいよ4月から「創楽院算命学塾」がスタートします。従来ですと3年半から4年位必要とされてい
 た「算命学占術」習得のカリキュラムを様々な角度から見直して、2年間で実践鑑定に必要な技術を
 全てお伝えしようという、画期的な内容となっています。

 日頃お仕事をなさりながらこの手のお勉強に取り組まれていらっしゃる方々にとって、やはりある程
 度短期間で効率よく習得出来るようなシステムでないと「今=動乱期」という時代にそぐわない、私
 はもう何年も前からそのように考えていたのです。

 もちろん習得した理論や技術を実際に使いこなせるようになる為にはそれなりの熟成期間が必要であ
 ることは、いうまでもありません。しかしだらだらと(失礼!)5年も6年も7年も教室に通い続けて
 (月謝を払い続けて)、それでもよくわからない? とおっしゃる方が多いのは一体どういう事でし
  ょうか?

 私はかつて2つの算命学の学校で、鑑定や講義を担当していました。それらの経験を通じて私は教え
 る側がもっと努力と工夫をするべきではないか? と考えていたのです。そしてその理想を実現させ
 るために、既存の組織から離れて独自路線を開拓するしかなかったのです。

 私が講師をやっていたある学校では学長が「うちは哲学の学校なのだから、あなたのやり方はうちに
 は合わない」という訳のわからない理由で私を追い出しました。生徒さん達は「占い」を習いに来て
 いるのです。しかもその学校は東洋占星術「算命学」の教室だといって生徒を集めているのです。哲
 学の学校だといって生徒集めをしてはいなかったはずです。私はそこに集まって来られた方々のニー
 ズにお応えするために、少しでもよい講義をしようと努力を怠らなかったつもりです。そうしなけれ
 ば学校のやっていることは詐欺同然と見なされてしまいます。

 ところが結果的に私はその学校を去ることになりました。もしそこに本来の師弟関係というものがあ
 ったなら、弟子の方向性がおかしいと思うなら、それを正しく指導するのが師匠の役目だったのでは
 ないでしょうか? しかし実際にはそのような話は全くありませんでした。そして新しいクラスが始
 まる僅か2日前になって、いきなり講師契約を破棄されたのです。前述のような釈然としない理由に
 よってです。

 私はこの一件で 、この学長とはもともと師弟関係でも何でもなかったのだということに気が付いて、
 むしろとてもすっきりした気分になりました。尊敬の出来ない人物を師匠と仰ぐ必要はありません。

 それから数年間、今日まで準備に時間を費やしてきたのがいよいよ4月開講の「創楽院算命学塾」
 なのです。「創楽院」の「創」は五方向分類では北方、習得、創造の世界を表しています。そして
 「楽」は南方、伝達、表現、快楽、夢の世界を表しています。単に習得しそしてまた伝達していくだ
 けでなく、より創造的で、より明るく楽しい未来を想起させるような、そのような名称にしたかった
 のです。

 さてこれから新たにお勉強を始めようという方、4月からの「入門科(1)」は全くの初歩からわかり
 やすく丁寧にやっていきますので、是非いらしてください。また、既に一通りのお勉強をされている
 方で、もう一度2年間かけて復習してみようと思われる方も是非お越し下さい。

 大きな教室はありませんが、明るくて温かいムードの中で楽しく、そして密度の濃い講義をやって参
 ります。御期待下さい!!

 

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