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| (質問)『万象算命』のめざすものとは? (2006.6.18更新) |
| (回答)多くの方々が「算命学」イコール「天中殺占い」という、とんでもない誤解を未だにされているようで、誠に残念でなりません。それどころか、最近の若い世代(私もまだ若いほうですが)の人達は「天中殺」という言葉は知っていても、「算命学」という言葉は殆ど知らないようなんですね。「算命学」がキチンとした学問としてもっともっと評価されていくようになる為には、やはりそれをより多くの若い世代に学んでもらう事が大切だと考えています。そして学んだ人達は実際にそれらを大いに活用し、様々な分野で生かしていく、そうしなくてはもったいないですね。
『万象算命』はそうした中で、「算命学」の理論に基づき、それらの原理原則から逸脱することなく、あえて「学」の部分よりもむしろ「術」の部分を徹底的に追及しているものであります。誤解がないように申し上げておきたいのですが、「学〜理論理屈」はそのままでは人々の心の救済には使えないのです。現実に様々な悩みを抱えた多くの人達がいらっしゃる、その方々の悩みを聞いてあげて、よりよい解決方法を、目指すべき方向性を、人の道は決して一つではありませんので、その選択枝をいくつかお知らせしてご自身の気付いていない、まだ眠っている可能性を引き出すきっかけですね、これを掴んでいただこうということでアドバイスをさせていただくわけです。 理想としては、「学」と「術」の両方とも必要不可欠なわけで、哲理の部分である「学」、と技術の部分「術」とは車の両輪、両方そろってはじめて人々の「心(=存在意識)の進化」に役立つことが出来ると考えているのです。実際の鑑定におきましても、お客様のご相談の内容(悩み、苦しみ)をよく聞いて差し上げて、お客様の現在おかれている環境、立場といったものを十分にふまえたうえで、運命上の可能性をお伝えしていくことになるわけです。 理論理屈だけでは現実に人の心を救済することは出来ないのです。もちろん良い時期・悪い時期というものははっきり申し上げますし、加えて良い時期の活用の仕方と悪い時期の乗り切り方もしっかりとお伝えしています。「理」的に捉えてそして「情」的に答えるというのが鑑定の鉄則となっているのです。 お客さんが元気になって喜んで帰っていけばそれでよい、とする考え方もあるようですが、これから運気が低迷していくと分かっている相手に、それを伝えずに「いいですよ、悪くないですよ、今年は良くなりますよ」といって励ましてあげることは、「その場限りの救い」でしかなく、ちょっと運命(ここでは1年、10年、100年といった単位で流れていくものを差しています)鑑定とは言い難いと思います。 人の運命、とりわけ運勢というものはいきなり急に変えてしまってはいけないものなのです。手術で体の悪い部分を切り取ってしまい、他から移植してきたりという発想が西洋医学、西洋人の考え方であるとすれば、ここでちょっと東洋医学の世界を想像してみてください。漢方薬等は飲み始めていきなり効果が現れてくるものではありませんね。その代わり恐ろしい副作用等の心配はまず無いわけです。体の悪い部分のみを直接どうこうするということよりも、体全体のバランスを考えて、時間をかけながらじっくり直していこうとするわけなんです。西洋の発想は「悪いところを切り取ればよい、悪いところに効く薬を投与すればよい」というやり方ですから、悪いところが直ってもどうしても他の部分に副作用が出てきてしまうわけです。しかも副作用の方が大きい場合もあり、かえってそれが本人のみならず周りの身内・家族まで巻き込んで苦しむ結果になる場合すらあるのです。 『万象算命』では、本当に運を掴む為にはバランスというものを十分に考慮して、時間をかけて少しづつ高めていかないとやはり本物にならない、と考えています。急激に運を変えようと、方位とり、まじない、加持祈祷等いろいろなさる方がいらっしゃいますが、これらの効果もやはり少しづつ出てくるもので、いきなり良くなるというようなものでもないのです。 運命は変えられます!! よく、「運が良くなってから何かを始めよう」とお考えになる方が多数いらっしゃいますが、実際には運気が上昇しはじめてから何かを始めるのではなく、運の上昇する時期を睨んで、その2〜3年前位から、成功をつかみ取るための準備をしていなくてはいけません。 また個々の宿命、つまり生まれながらにしてこの大宇宙、大自然から与えられたエネルギー、即ちご自分の「器」の部分、これは変えることは出来ないのです。 それとともに自分を取り巻いている環境ですね、「時代」と「社会」が自分に味方しているのかどうか?これも大変に重要なポイントになりますね。 そもそも運が良い、運が悪いとはどういうことなのか? 或いは吉凶判断の基準は一体何処にあるのか? これは今という「時代」と「社会」に自分の行為行動、ものの考え方がマッチしているかどうなのか、ということが大切なポイントになるのです。同じ生年月日に生まれた人は沢山いらっしゃるわけですが、親が異なり、そして生まれた国が異なれば、ご自分を取り巻く環境はそれこそ千差万別で当然運勢も様々に展開していくことになるわけで、自分の能力が生かしやすいかどうかも全く異なってくるわけです。 なかには星を読み取った内容をそのまま相手に伝えて、それで当たればいいだろうという考え方をされる占い師さんがいらっしゃるようですが、『万象算命』の立場からみますとそれはちょっと信じられない、とんでもないことだと思います。そもそも「星を読み取る」事と人に「アドバイス」する事とは違うのですから。しかもこの「アドバイス」という部分は人間でなくては出来ないこと、コンピュータによる自動診断、自動鑑定というものにはここが欠落しているわけなんですね。 当然のことですが『万象算命』の運命鑑定は巷のコンピュータによる自動診断、自動鑑定のようなものとは一線を画した、血の通ったアドバイスを心掛けております。 そもそも尊い人間の運命をコンピュータに生年月日をインプットしただけで読みとれるわけがないのです。人間の「運命」とか「個性」といったものは、同じ生年月日に1万人の人が生まれていれば、そこに1万通りの「運命」が、或いは「個性」が存在し得るはずなのです。それがコンピュータの生年月日による判断ではみんな同じになってしまうわけですね。 なかには生まれた時間まで細かく算出すれば、人の運命もより細密に鑑定できると真顔でおっしゃる方がいるようですが、実際の天体を用いて、その僅かな天体の位置、角度の違いが大きく影響する西洋占星術やインド占星術等ならそれも判りますが、出生時刻のデータが細かくなることと運命の読み取り技術が細密になることとは、別の次元の話であるのに何故かみなさんそこを錯覚しやすいのです。 『万象算命』はやはりその人の生年月日を使用しますが、同生年月日に生まれた方の運命は、1万人の方がいらしたら理論的には1万通りの運命と個性を鑑定してお伝えすることが出来るのです。何故そんなことが可能なのかといえば、既に申し上げておりますように決して「生年月日」のみで人間の運命を算定するわけではないからです。そこに「人の環境を分析して星に置き換える技術」というものが生かされているのです。これが『万象算命』の大きな強みであるといえるのです。 同時に、『万象算命』は「心(=存在意識)」の進化、向上、発展こそが開運の最重要ポイントであることを強調しており、人間の運命の尊さを何処までも大切にしていこうと言う意味で「算命学」に基づきながらも、なおかつ『尊命学』でありたいと考えているのです。 (続く) |
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