算命道一直線:2004年1月〜3月の日記
(算命学者・伯耆弘徳による日記のようなもの)


2004年10月〜12月の日記    2004年4月〜8月の日記    2003年&2002年の日記


2004.3.29(月) 「私はヘビー級ですって!?」

 実はK-1の公式サイトを見ていて気がついたのですが、K-1のルールによると、体重が86.18kg以上
 はヘビー級なんですって。その下がクルーザー級で79.38kgから86.18kg以下。
 ということは私の場合、油断しているとすぐヘビー級になってしまうということかあ? 最近は原稿
 書くのが忙しいせいもあって、ジムに通う回数がちょっと減少傾向なんです、ヤバイ。

 新日本プロレスのルールではヘビー級は100kg以上、それ以下はジュニアヘビー級ということになっ
 ていてこちらの方はちょっとアバウト過ぎる感もありますが、それにしても自分の体重がK-1ルール
 だともう殆どヘビー級の領域に達してしまいそうなので、夏に向けて気合いをいれないと。

 本当は70kg以下にしなくちゃいけないと思うんですけどねえ。 ミドル級が66.68kg以上72.57kg以
 下という規定になっているようなので、せめてその範囲に収めないとなあ。

 先日の曙と武蔵の試合はテレビで観たのですが、曙ってかっこいいなと、素直に思ったんですよ。そ
 れに曙のお腹に比べたら自分なんて全然スマートな方じゃないかって・・・、う〜ん、やっぱりダメ
 ですかねえ。

 私の場合、年齢の割には白髪が殆ど無いというのが自慢なのですが(頭は良く使っているはずなんで
 すけど)、体脂肪だけは年々増えていくみたいで、そうするとだんだんジーンズ姿がカッコ悪くなっ
 ていくんですよ〜。
 どなたか健康を損ねず、しかもリバウンドしにくいダイエット法をご存知の方、是非教えて下さい。
 夏までになんとかミドル級にまで落としたいんです、ということは4階級も下げなくてはいけないん
 ですよねえ、ちょっと無謀かなあ。

 

 


2004.3.27(土) 「実践鑑定セミナー・初級編、始まりました!」

 きょうは午後から「実践鑑定セミナー・初級編」が行われました。『万象算命』の講習会は今回が初
 めてという方が多かったので、とりあえず一回目は十方星や十二天星についての概論的なところから
 始めて、宿命の星と後天運で廻る星の捉え方の違いなど、今回の初級編で採り上げる内容のダイジェ
 スト版みたいな話でまとめてみました。

 次回は4/24(土)に行いますが、実はあと3人分、まだ席が空いていますので、申し込まれていない
 方は急いで受講申込をして下さい。特に通信コースでお勉強なさっている方で東京近郊にお住まいの
 方、たまには教室へいらして下さいよ!


 

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2004.3.17(水) 「アテネで会ってね?」

 マラソンの高橋尚子さんがアテネ五輪の選手枠から外されてしまいました。個人的にはちょっと残
 念な気がしていますが、仕方がありませんね。選出された他の3人の活躍に期待しましょう。





 「高橋尚子は今年は悪い年ではないはずなのに、どうして選ばれなかったのか?」という質問をされ
 る方がいらっしゃるのですが、例えば今回のケースで「高橋尚子がアテネ五輪に出場出来るか?」と
 いう問題を本人の命運のみで判断することは出来ません。何故ならば代表選手を選ぶのは本人ではな
 く、他の人達の判断によるものだからです。選考委員の方々が算命学を学んでいたら、彼女を代表に
 選んだかも知れませんが、やはり昨年の成績が振るわなかった事が落選の大きな原因でしょう。


H15
31~


 高橋さんは宿命の中に「子〜酉の破」を所有しています。昨年は東方が「子〜未の害」となっていて、
 仕事や対人関係においてストレスが大きくなりやすく、また他人から裏切られたりするような事があ
 ったかも知れません。この場合、後天運で廻る「害」が宿命の中の「破」によって増幅されるので、
 かなり辛かったのではないかと思います。

 昨年は「車騎」と「天南」が廻ってきており、こういう年は無理を押してでも頑張ってしまう、頑張
 ればなんとかなるだろうと思ってしまいやすいものです。いくら世界のトップレベルの選手であった
 としてもやはり生身の人間です。昨年の大会で途中からペースを崩してしまい、最後まで立て直すこ
 とが出来なかったのも、そのあたりに原因があったのではないかなという気がします。
 特に昨年は「癸未」年で彼女にとっては忌神廻りの年でもありましたし、運勢上は悪条件が重なって
 いてちょっと気の毒でしたね。

H16
31~


 ただし、今年の年運は良いのですよ。東方半会で前進力の出る年ですし、「甲申」年は彼女の守護神
 が廻っています。星も「玉堂」と「天恍」が廻ってきていますから、気負いをなくして綿密な作戦を
 立てて試合に臨むことで好結果を出せるのではないかと思っていたのですが・・・。


初旬
01歳〜
甲辰
玉堂
天堂
2旬
11歳〜
癸卯
車騎
天胡
3旬
21歳〜
壬寅
牽牛
天極
4旬
31歳〜
辛丑
禄存
天庫
5旬
41歳〜
庚子
司禄
天馳
6旬
51歳〜
己亥
鳳閣
天報
7旬
61歳〜
戊戌
調舒
天印
8旬
71歳〜
丁酉
貫索
天貴


 想運(大運)では、初旬天空象に加えて初旬には特殊条件がついていますから、想運天空象(大運天
 中殺)は2旬〜3旬に繰り下がることになり、現象そのものは3旬から4旬にかけて二階建て状態にな
 って表れるのです。よって21歳のあたりから60歳に到るまで約40年間にも及ぶ想運天空象の現象と
 なってしまうのです(初旬を日居天空象と捉えた場合はさらに現象が大きくなり、約60年間もの天空
 象となります。あくまでも理論上ですけど)。

 高橋さんの場合、想運の3旬、21歳あたりからの想運天空象(大運天中殺)は陽転しますので、まだ
 ここしばらくは活躍が期待できる人なのです(ただしその先はわかりませんが・・・)。だからこそ、
 今年のアテネは出て欲しかったのですけどねえ。

 さてそろそろ細木さんの宿命大殺界について、また続きをやりますので。
 明日以降のこの日記にご期待下さい。

 

 


2004.3.13(土) 「実践鑑定セミナーに関するお知らせです」

 きょうは『万象算命』講習会〜実践鑑定セミナー中級編が行われましたが、実は午前中に1名分だけ
 キャンセルが出てしまいましたので、次回4/10(土)から参加希望される方、お早めに御連絡を下
 さい。もしも参加希望者多数の場合は、またさらに会場を広いところに移すことも検討しております。

 3/27(土)からスタートする「初級編」の方は、本日現在あと3名で定員に達します。今まで独学で
 お勉強なさっていらした方も、是非一度参加してみませんか? 講義の中身は本には書かれていない
 ような話が沢山出てきますので、聴いておいて絶対に損はしないと思いますよ。

 どうして本に書かれていないような話が沢山あるのだろう? と不思議に思われる方がいらっしゃる
 かも知れません。理由は大きく分けて2つあります。
 ひとつは専門的な内容になればなるほど出版社が出したがらない、特に今の時代、出版業界は氷河期
 のような状態だそうですので、内容の善し悪し以前に売れる見込みがなければ出してくれない、とい
 う厳しい現実があるのです。

 言い換えると、売れるものだったらインチキ占いでも構わないそうなんですよ。変なの。
 良い本が売れるように努力することはしないで、「売れるものが良いものだ」と開き直る人もいるら
 しいので本当に困った世界です(そのあたりは音楽業界も変わらないけど)。

 書籍もCDもゲームやパソコンソフト等も、現実には必ずしも良いものが売れているわけではないんで
 すよねえ。それに対して良くないものが売れている現実に対して、きちんとした批評、批判が通らな
 いような世の中というのは本当に救い難い、かといってネットの匿名掲示板における目を覆うような
 誹謗中傷行為も許すべきではないと思いますが・・・。

 あともうひとつは、本に書くよりも講義というスタイルの方が伝えやすい、伝わりやすいという面も
 あるのです。講義資料のプリントを元に例題をホワイトボードに書きながら、干支や星の微妙なニュ
 アンスをお話していく、これがいいんですよ。これを本にまとめようと思うとものすごい時間と労力
 が必要になってくるし、しかも多くの場合、専門書って全然採算が合わないんです。

 聞いた話ですけど、占術関係の専門書って初版で300部〜500部くらい刷って、それを売り切るのに
 10年かかるって言うくらい需要が少ないんですね。まあ研究者や専門家志望の人にしか読まれない
 ものですから、しょうがないと思いますけど。・・・これじゃ商売にはなりませんね、全然。

 創楽院でも専門書は自社で出版していこうと以前から計画はしているんですが、資金面の問題に加え
 て刷り上がった本の保管場所の確保と商品のコンディションの維持、これが結構大変らしいのです。
 流通ルートに関しては専門店とネット書店、それにこのサイトを活かしてやっていけば少部数だった
 らなんとかやれると思うのですが。

 どなたか出版に詳しい方、出版に協力して下さる方がいらしたら是非宜しくお願いします。本の中身
 に関してはいくらでも書けますので。六十干支にちなんで、出来れば生きている間に60タイトル位は
 出しておきたいんですけどねえ(ただしあのB社あたりがやっている“協力出版”っていうのはイヤ
 ですけど)。

 

 

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2004.3.12(金) 「長嶋茂雄氏はしばらく休むべきです」


 実践鑑定セミナー中級編はいよいよ明日が初日。今回のシリーズは後天運(主に大運)の読み取り方
 に重点をおいてやっていきますが、明日は今入院されている長嶋茂雄氏の命式を例題に取り上げてみ
 ます。やっぱり、長嶋さんはアテネ五輪は行かないほうが良いですね。それが何故なのかは講義の中
 でお話しをしていきますが、ちょっとひとつだけ。

 

H15
65~



 上の命式をご覧下さい。これは生年・生月・生日干支に加えて65歳からの想運(大運)の干支と、昨
 年すなわち2003(平成15)年の干支を並べたものです(五柱法とも呼びます)。

 実は昨年の長嶋さんは東方が「子〜未の害」となっていて、仕事・対人関係において非常にストレス
 が大きくなりやすい状態でした。想運(大運)においても東方は「子〜酉の破」が廻ってきていて、
 つまりこれが年運の「害」の現象を増幅する働きをしていたのです。

 年運の「害」は精神的なストレスの増大から病気となる場合があり、しかも発病が翌年に持ち越され
 るケースが少なくありません。しかもこの時期は忌神廻りとなっており、心は不安定な状態で運気も
 下がってしまいます(守護神の取り方については講習会でバッチリ御説明します)。
 運の形として「害」が出ていて、その中身は「石門」という星が廻ってきていたわけで、人間関係や
 仕事の幅が拡がることは拡がるのだけれど、そのままいくとどんどん心のバランスが崩れていってし
 まう時だったのです。もともと宿命に「天将」を所有している方で、しかもその星の輝かせ方を体得
 している方ですから、こういう状態の時にかえって無理をしてしまう事が多いのです。

 後天運で廻ってくる「害」はその中身を星で知っておけば、現象を軽減することが 可能です。この
 ケースだったら、仕事の量を減らして自分の体を守れば良かったのです。
 もう既に入院されていて、あとは回復を祈るしかありませんが、今年の状態はというと、


H16
65~


 というようになっていて、今年も忌神廻りなんですね。東方が「子〜申の半会」になっていて、前進
 力が出てくるときです。これは気を付けないと状況が雪だるま式に悪化していきます。しかも中央が
 「庚寅〜甲申で天剋地冲」です。これは先祖からの恩徳が消滅するとき、という解釈となります。
 だからあとは自分の力で頑張れということなんですが、よりによってこんな時に、ねえ。これもちょ
 っと気の毒ですね。

 廻ってきている星が主星が「鳳閣」で従星が「天貴」となっています。従星がもっと弱い星だったら
 「のんびりゆっくりしようか」という気持ちにもなれるのでしょうが、「天貴」がちょっと強めの星
 ですから今年の「鳳閣」はむしろ「元気よく遊ぼうか」という感じになっています。
 で、本当に元気よく遊んだりしたら今年は忌神廻りなんだから、またそれで運がガクッと落ちる、そ
 ういう心配があるのです。

 あと、十二支だけに着目すると「申」・「酉」・「申」・「寅」・「子」となっていて、金性に偏っ
 ていますね。これは金性は西方、人間の肉体では右半身に不具合が出やすいということです。ニュー
 スなどによるとやはり現実に体の右側の調子が良くないようですね。この傾向は来年も「乙酉」年で
 継続するので、ちょっと心配なんです。

 実際の講義ではこのような話以外に、この状態を如何にして脱するか、その救いの方法等もお話して
 いく予定ですので御期待下さい。面白そうでしょ?


 

 


2004.3.11(木) 「実践鑑定セミナーの情報」

 きょうは簡単に講習会のご案内です。
 「実践鑑定セミナー中級編」はお陰様でお申し込みが定員に達しました。あとはキャンセル待ちとな
 りますが、現実にはめったにそういうことは無いので、もし来月以降参加を希望される方がまだ増え
 るようでしたら、講習会の会場をもっと広いところに移そうと考えています。

 また、「実践鑑定セミナー初級編」の方はまだ若干空席がありますので、お早めにどうぞ。「初級編」
 とはいっても入門講座ではありませんから決して侮れませんよ〜。今回のシリーズもなかなか奥深い
 内容になる予定です。

 ところで「六星占術・宿命大殺界」についてこのページで何度か取り上げてきましたが、この「六星
 占術」のカラクリ、皆さんもっと知りたいですか? あの12年周期の運命判断のどこがおかしいのか、
 算命学の観点からちょっと解説してみようかなと思っています。
 皆さんからのリクエストのメールが多ければ、早速やってみますので。


 


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2004.3.10(水) 「四人囃子の想い出」(2)

 
ええと、昨日の続きになります。 もし初めてこの日記をご覧になる方がいらしたら、昨日の分からお
 読みいただいた方が良いと思います。

 私はというと結局ギタリストとして日の目を見る前に、シンセサイザー・マニピュレーターへと転身
 してしまった為に、それ以後もう殆どギターを弾かなくなってしまったのですが、四人囃子の他のメ
 ンバーとは誰か(忘れた)のレコーディングの仕事で一緒になったこともありました。
 ドラムの岡井大二氏がプロデュースした仕事にたまたまシンセのプログラミングでブッキングされた
 ことがあって、その時はスタジオのロビーで岡井氏に昔の話を随分沢山聞かせてもらったこともあり
 ましたっけ。

 その昔、私なりに「日本のロックシーンをなんとかしなくちゃ」と真剣に考えていた頃があって、
 歌謡ポップス全盛の当時の日本の音楽状況を少しでも変えていこうと、それが引き金になって下北沢
 「ザ・フェノミノン・スタジオ」を作ったわけだったんです。そう、当時まだ25歳、相当に気負って
 いたというか、自分の中にものすごく過激なところがありましたねえ。

 小さいながらもなかなか機材が充実した録音スタジオだったのですが、ここを拠点にして自主制作の
 レーベルを起ち上げる計画があったんですよ。結局私がシンセの仕事で外部のスタジオに呼ばれるこ
 とが多くなってしまったということもあって、その後スタジオも閉めてしまったんですけど。もしあ
 の時自分のレーベルをスタートさせていたら、またきっと違った人生になっていたことでしょう。


 ・・・ところが、ついさっき、その若者の口から出たセリフ「腐った日本の音楽状況をなんとかしな
 いと・・・」を聞いたときに真っ先に自分の頭の中に浮かんだフレーズは、「何にもわかってねえく
 せにいい気になるんじゃねえよ、このガキ!」だったんです。

 今の日本の音楽シーンは確かに30年前とは全く違います。音楽の表現方法、伝達手段もずいぶんと新
 しくなりました。楽器や音楽機材も飛躍的に進歩しているし、海外からの情報もいくらでも入ってく
 る、今の若い連中はすごく恵まれていると思いますよ。

 でもね、みんなのオリジナリティってどこにあるわけ? どれもこれもみんな外国のアーティストの
 パクリでしかないでしょ? サウンドもビジュアルもパクリ、歌詞だって外国の楽曲の歌詞を訳して
 そのまんまだったりするものもあるみたいだし。

 みんな歌も演奏も昔に比べると上手くなっているとは思うんですが、でもみんなサルマネなんだよな
 あ。コピーから脱してオリジナルな作品を創りだしていくのはものすごくエネルギーが必要な事だと
 思うのですが、中にはもう始めから割り切ってパクリに徹して成功している有名グループもある位だ
 し、確かにある面においては日本のロックシーンも「腐っている」といえそうですね。

 音楽録音制作のプロセスがサウンドのデジタル化や楽器のコンピュータ化によって、低予算でもかな
 りのものが作れるようになって来てはいるのです。 だからもっともっと優れた作品が続々と生まれて
 もいいはずなのに、実際には安っぽくて感動のレベルの低いものばかり。

 ちょっとみんな創作という行為をなめているんじゃないだろうか?
 
 本当に「腐った日本の音楽状況をなんとかしないと・・・」とするならば、それなりのものを創りだ
 すアーティストにもっともっと出てきてもらいたいですねえ。
 今の状況では、私から観たらシンセのサウンドなんてむしろ昔よりもあきらかにクオリティが落ちて
 いると感じられるし、アーティスト達の音楽機材の使いこなしのセンスって、全然向上していない。
 みんなイージーな方向に流されていってしまう。

 もちろん、中には凄い人達っているんですけどね、全体を通して感じるのはそういうこと。制作者側
 の都合(お金と時間)というものももちろんあるのだろうけど、それ以上にアーティスト自身のパワ
 ーが希薄になってきているような気がするんですよ。

 本当に「こいつはすごい!」と思えるようなアーティストにだったら制作者側も態度が変わると思う
 んですけど、みんなどんぐりの背比べみたいなもので、日本だけじゃなく、世界の舞台に出ていって
 も十分に通用するような人って、どれだけいますか? 
 やっぱり日本で生まれ育って、恵まれすぎているとダメなんでしょうか?


 算命学で人間の才能というものを捉える場合、「才能というものは磨かれなくては輝かない」という
 事をまず第一に考えます。たとえば宿命の中に「調舒」という、伝達・表現力の星を持っている人が
 いるとします。この「調舒」という星をこの人の才能として輝やかせる為にはどうすればよいのか?
 
 これにはこの星と相剋(五行循環という思考法から出ているもので、ぶつかり合いを意味します)の
 関係にある星、「龍高」・「玉堂」といった知恵の星や「車騎」・「牽牛」といった行動力の星を沢
 山所有していることが望ましいのです。

 才能は星同士のぶつかり合いが沢山あればあるほど鍛えられて、磨かれて、そして本物になっていく
 のです。そういった切磋琢磨される状態が無ければ、単なる宝の持ち腐れで終わってしまうのですね。
 道具が便利になって、楽になったぶんだけ、もっともっと苦しみながら斬新なアイディア、独創的な
 スタイルを作り上げていこうとする努力や工夫がなされなければならない、そうしなければ受け手に
 は何も伝わらないよ、ってことです。

 才能の星というものは後天運の中でもさらに輝きを増すことがあったり、反対に輝きを損なう場合も
 あったりします。そういうのがあらかじめわかっていると、新人アーティストの売り出しで、戦略を
 立てる際にも大いに役立つと思いますよ。


 さて、そろそろ「四人囃子」の話に戻しましょう。

 その後しばらくの活動休止期間があったようなのですが、なんと森園氏が復帰した形で、数年前から
 また活動が再開したのです。もうみんな50歳近い年齢になっている筈なんだけど、30年もの時を経
 て、当時の代表曲もしっかりと聴かせてくれています。あいにく復活後のライブはまだ観ていないん
 ですが、新しく出たライブのCDはしっかり購入しました。

 あの時、森園氏が脱退しないでもう少し頑張って活動を続けていたら、もしかしたらもっとすごい展
 開を見せてくれたのではないか? そう思うのは私だけではないでしょう。

 昨年、彼等のライブを深夜のテレビで観て、なんだかまた私もギターを弾きたくなってきてしまいま
 した。シンセサイザー・マニピュレーターという仕事で認められるようになってから、仕事が忙しく
 て他のことは何もする時間がないし、それまで所有していたギターは数本だけ残してみんな売り払っ
 てしまったんです。もう弾かなくなってから20年くらい経つんですけどね。

 この20年間に参加したアルバム、シングルの数って、おそらくものすごい数字になっていると思うん
 ですが、いつかは自分のアルバムを出したいな、なんて思っていて結局何にもしなかったことは、
 ちょっぴり後悔しています。シンセサイザー・マニピュレーターという仕事はあくまでも裏方仕事、
 もちろんプロとしての自分のキャリアには誇りを持っているんですが、それと並行して本当は自分自
 身の音楽活動はきちんと継続しておくべきだったんでしょうねえ。でも、忙しかったからなあ。

 というわけで、いつか『万象算命』の仕事が一段落ついて気持ちに余裕が出てきたら、自分の音楽
 活動も再開したいと思っています。
 その時はまたメンバー集めなくちゃいけないので、ドラムとベースとキーボードの演奏が出来る人、
 どうかよろしく。ヴォーカルは他の人に頼んでもいいけど、ギターは私が弾かないとね。

 「これが21世紀のピンク・フロイドだ!」みたいなバンドを作りたいです、ハイ。

 


2004.3.9(火) 「四人囃子の想い出」(1)

 
深夜に事務所の近くのコンビニで買い物をしていたら、肩からギターの入ったソフトケースをぶら下
 げた一見ミュージシャン予備軍といった風体の若者がケータイで誰かと話をしながら店に入ってきて、
 まあそれ自体は別にどうってことない光景なんですが、彼の口から「腐った日本の音楽状況をなんと
 かしないと・・・」なんてセリフが聞こえてきたものだから、思わずその若者の方を見てしまったん
 です。

 もうずっとずっと昔ですけど、同じようなセリフを自分も口にしたことがあった・・・

 私も15歳くらいからギターを弾いていて、ずっとバンド活動などをしていました。いつかは自分も日
 本のロックシーンに大変革を起こしてやるんだと、24歳くらいまでにはスーパースターになってやる
 んだと本気で思っていたんですよ。初めてバンドを結成して人前で歌ったのは中学生の頃だったんで
 すが、既にその時点で自分は将来ミュージシャンになるんだと決めてしまっていたんです(まあなん
 と親不孝な!)。

 ですから高校時代も学校の勉強はいい加減で、もうひたすら音楽、ギターを弾くことだけ一生懸命や
 っていました。そんな調子でしたから大学受験はもう当然のように全部落ちて、1年間浪人生活をし
 て(その間も殆どギターばかり弾いていてんですが)、それで再度受験して結局滑り止めに受けた
 青山学院しか合格しなかったもので、でもまあ結果的にはそれが良かったと思うんですけどね。

 当時はまだ厚木キャンパスが出来る前だったので、経営学部は1年生から渋谷キャンパスだったんで
 す。青学に入って良かったことは音楽系のサークルが異常に沢山あって、音楽をやる仲間が見つけや
 すかったこと。しかも渋谷は楽器屋さんや輸入レコード店も多く、また「屋根裏」という当時のロッ
 クシーンを語るうえで絶対に外せないライブハウスの老舗もあって、渋谷という街はとにかく音楽活
 動をしていくのにとても便利な条件が揃っていたんです。

 今から30年以上も前の日本のロックシーンを振り返ってみると、まず演奏場所が限られていたし、
 楽器や音楽機材は高価でしかも不便なものが多かったし、なんといっても今と比べて圧倒的に情報が
 不足していたんですね。私が中学・高校生の時代にはまだまだ練習スタジオなんて殆どありませんで
 したし、良い楽器は輸入物ばかりでバカ高かったし、それにライブをやる時に本来は絶対に欠かすこ
 との出来ないPA装置(演奏を伝えるための音響システムだと思えばよい)なんてものすら、まだまだ
 一般的ではなかったんです。

 ギターも高かったし、私なんかまだ高校生でギブソンやフェンダーのギターなんて高くてとても買え
 なかったので、初めのうちはグレコレスポールEG420のサウスポーモデル1本しか持っていませんで
 した(私、実は左利きなんですよ)。
 これはギブソン・レスポールスタンダードのコピーモデルだったんですが、当時はまだお茶の水に一
 店舗しかなかった石橋楽器店で3万円くらいで買ったものでした。高校の入学祝いということで親に
 お金を出してもらったんですけどね。

 当時は音楽情報といっても月刊「ミュージックライフ」とか「ミュージックマガジン」、あとはまだ
 マイナーだった隔月刊の「ロッキングオン」あたりくらいですか。
 「ロッキングオン」に投稿したこともありましたっけ、まだ18歳くらいの頃ですけど。確かキース・
 エマーソンの顔写真が表紙になっていた奴に載せてもらった記憶があります。
 原稿のタイトルがたしか「日本に本物のロックを」だったと思います。そう、前出の若者のセリフみ
 たいなこと、「日本の音楽状況をなんとかしていかなくちゃ」という思いを書いたものだったんです。

 私が高校生の頃は日比谷野外音楽堂あたりが日本ロックのメッカみたいになっていて、週末はよく
 100円コンサートとか99円コンサートといった感じのライブが行われていました。野音は会場の使用
 料が安かったというのもあったのでしょう。
 私も何度か足を運んで、当時の色々なロックバンドのライブをむさぼるように聴いていたものです。
 まだみんななかなかレコードが出せなくて、そういったライブでしか日本のロックを聴くことが出来
 ない時代だったんですよ。自主制作なんていうのもまずありえなかったし。

 海外ではハードロック(なんと懐かしい言葉!)全盛の時代で、私もレッド・ツェッペリンやディー
 プ・パープル、それにマウンテンやグランドファンク・レイルロード、あとユーライアヒープやブラ
 ックサバスなんかのレコード(まだCDなんてものは存在しない時代でした)をよく買って聴いていま
 した。それに加えてプログレッシブロックといわれていたピンクフロイド、イエス、キングクリムゾ
 ン、ジェネシスなんかも大好きでしたねえ。

 中でも特にピンクフロイドのギタリスト、デイヴ・ギルモアはお気に入りで彼のエコーマシンを使っ
 たギターサウンドを自分でもマネしたくて仕方がありませんでした。そう、天才と謳われたジミ・ヘ
 ンドリックスはロックギタリストの神様的存在として自分の中でも別格だったんですけど、それ以外
 だったらツェッペリンのジミー・ペイジ、ジェネシスのスティーブ・ハケット、そしてデイヴ・ギル
 モアあたりはみんな大好きだったなあ。よく考えてみるとみんな空間的な拡がりを感じさせるギター
 サウンドを創り出す人達ばかり好んで聴いていたんですねえ。

 で、当然日本にもそういうギタリストはいないのだろうか? スぺーシーなサウンドを聴かせてくれ
 るグループはないものだろうかと思うわけですよ。そうやって乏しい情報を頼りに探していたら、あ
 るじゃないですか、期待できそうなのが。

 ・・・それが四人囃子(よにんばやし)という妙な名前のグループだったんです。

 彼等の演奏に初めて接したのはもう30年以上も前、たしか年末で渋谷西武劇場というキャパがわずか
 350人位しかない小さなホールでした。「フラッシュコンサート」と題されたそのイベントに、桑名
 正博率いる「ファニーカンパニー」や、ブルースロックの雄だった「クリエイション」と共に、お目
 当ての彼等、「四人囃子」が出ていたんです。

 当時まだ高校1年生だった私にとって、東京の深夜のロックコンサートをたった一人で観に行くこと
 自体大冒険だったんですが(神奈川県の逗子に住んでいました)、音楽誌等に紹介されていた彼等の
 記事を読む度に、とにかく一度、どうしても自分の目と耳で確かめてみたかったんです。

 その時の四人囃子の演奏、素晴らしかったです。まだ一部の人達にしか知られていない、世間一般で
 は全く無名の彼等のサウンドには、確実に「日本のロック」の未来に希望を与える何かがありました。
 特にギターとヴォーカルを担当していた森園勝敏、もう存在自体が他のミュージシャンとはどこか違
 っていましたね。

 長い髪にジーンズとシャツ姿で別にお洒落でもなんでもないのに、でも何故かすごく存在感があった
 ・・・、日本のロックミュージシャンの中にもそういう、そこにいるだけで「おおっ」という感じを
 与えるような人がようやく出てきたんだなって、その時思いました。

 照明を落としたステージの上から静かにシンバルを刻む音が聞こえ始めて、そしてギターのサウンド
 がフワッと会場いっぱいに拡がって、当時の彼等の代表曲のひとつだった「やっぱりおまつりのある
 街へ行ったら泣いてしまった」の演奏が始まると、私は全身がゾクゾクとしてきて鳥肌状態になって
 いました。

 彼等のサウンドのベースになっていたものはやはり当時のブリティッシュロックサウンド、ピンク・
 フロイド、イエス、ディープ・パープル、それにアメリカのマウンテンやジミ・ヘンドリックスとい
 った人達からの影響を感じさせましたが、それ以上に驚かされたのは彼等のサウンドが単なる西洋ロ
 ックのコピーに終始しておらず、上手い言葉が見つからないのですがやはり彼等独特のフィーリング
 を感じさせるものだった点です。

 日本の多くのロックグループが海外のスタイルのコピーばかりで、そこから先に突き抜けてくれる人
 が殆ど見当たらなかった中で、やはり「四人囃子」の存在というものは本当に傑出していたと思いま
 す。演奏能力だけだったら他にも優れたグループはあったと思いますが、そうじゃない、そういった
 ものを超越したサムシングを彼等は初めから持ちあわせていたんでしょうね。

 「日本語のロック」ということでは「はっぴいえんど」のようなグループ(細野晴臣、鈴木茂、大瀧
 詠一、松本隆・・・今思えばこれは凄いメンバーだったわけだ)も活動していたわけですが、サウン
 ドはウエストコースト的で私好みではなかったんですよ。

 その後、彼等もようやくレコードデビューを果たし、私も彼等のコンサートには何度も足を運んでい
 たのですが、2枚目のアルバムを発表した直後に中心人物だった森園氏が突然脱退してしまいます。
 このときは本当に自分のことのようにガックリしてしまい、出来れば私が代わりにメンバーに入りた
 いとマジに思ったこともありました。
 森園氏が抜けてしまってそのまま解散するのかと思いきや、新しいメンバーを加えて活動を再開した
 彼等だったのですが、やはりどうもサウンドの質感が異なってしまい、私の「四人囃子」への想いは
 この時点でいったん終わってしまったのでした。

 (続きます・・・)

 


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2004.3.8(月) 「もうすぐ実践鑑定セミナー」

 いよいよ今月から万象算命講習会「実践鑑定セミナー」が再開されます。 これは毎月1回、土曜日の
 午後に行われるもので、現在のところ中級編初級編の2つがあります。お陰様で中級編のクラスは
 ほぼ満席、あとはキャンセル待ちという状態です。初級編はまだ多少枠が空いています。

 当初の計画では初級編では主に宿命の星の読み取り方を採り上げていくつもりだったのですが、どう
 も最近は後天運、とりわけ想運(大運)の読み取り方に興味をお持ちの方が増えてきているようなの
 で、ちょっと予定を変更して宿命と後天運、それぞれの十方星、十二天星の読み取り方のコツをお伝
 えしていこうということにしました。

  例えば「貫索」という星、宿命の星命樹の中にある場合、想運(大運)で廻ってきた場合、さらに行
 運(年運)で廻ってきた場合、簡単にいうと星命樹の中にあれば「頑固でマイペースな性格」を表す
 し、想運(大運)に出てくれば「守り通せ」という意味になるし、行運(年運)だったら「自立独立
 せよ」というように、同じ星でもその意味の表し方が異なってくるわけです。そういったあたりを少
 し詳しくやろうかなと思っています。

 とりわけ実践鑑定においては「星の意味を言葉に置き換える能力」が求められます。それに加えて
 相談者の星命樹を見ながら、この人にはどのような伝え方をしていくのが良いのか、それを察知でき
 るようにならなくてはいけません。どんなに自分の頭の中ではわかっているつもりでも、それを実際
 に的確な言葉で表現できなくては鑑定は出来ません。
 初級編ではそのような算命学鑑定技術の下地作りを丁寧に勉強していくことにします。
 (特に通信コースで勉強されている皆さん、月1回、土曜日の午後に創楽院まで通える方は是非ご参
 加下さい。)

 


2004.3.7(日) 「E-Mail鑑定の舞台裏」 

 この一週間、メール鑑定の依頼がまた増えてきていて、そっちに時間をかけているとホームページの
 更新が全然出来なくなってしまうんです、すいません。
 
 いつも鑑定所でやっている面談鑑定や電話鑑定などは時間制となっていて、例えば60分鑑定だったら
 その60分という枠の中で、相談はいくつしていただいても構わないわけです(相談1件につきいくら、
 というシステムではないんです)。

 私の場合は予約をいただいて、鑑定に入る前段階で依頼者の生年月日から干支と星、エネルギー数値
 等を全て算出しておいて、一通りの準備を済ましておくんです。
 なにしろ算命学の鑑定は依頼者の生年月日から読み取ることの出来る情報量がハンパじゃありません
 から、事前に下準備をしておいた方が絶対に細やかで丁寧な鑑定が出来るんです。それが予約制にし
 ている一番大きな理由です。

 それ以外には、鑑定所でじっとすわってお客さんが訪れるのを待つ、というのが性に合わないという
 のもあるんですけどね(瞑想の時間以外はあんまり一ヶ所にじっと座っていたくないんです、だって
 私は金性の塊ですから)。

 それに対してメール鑑定の方は基本的に相談1件につきいくら、という料金設定にしています。こち
 らに鑑定を依頼される方の多くは結婚と就職(おもに転職)のご相談がセットになっていることが多
 いので、いつしか両方で1件分の料金になってきてしまいました。

 しかしこれ、結構時間がかかるものなんですよ。時間制じゃないわけだから私自身の裁量でいくらで
 も時間はかけられるわけです。するとひとつのご相談に対して鑑定して文書にまとめあげるのに平均
 3時間以上かかるんです。5年前にメール鑑定を始めたばかりの頃は未だフォーマットが固まっておら
 ず、1件仕上げるのに半日以上かかることもザラでした。
 鑑定文書って既製品ではなくて、全てオーダーメイドのようなものですからねえ。鑑定の結果を文書
 にまとめるのも、何度でも読み返していただけるようにとものすごく神経を使って書きますから、一
 日に1件、頑張ってもせいぜい2件しか出来ません。

 でも、遠方にお住まいでこちらの鑑定所までお越しになれない方々の為に、少しでもお役に立ちたい
 と思うと、やはりこれは可能な限り続けていきたいし。アメリカやヨーロッパ、それに東南アジア等
 に在住の日本の方々からのご依頼も年に数件はあるんですよ。
 昨年の12月から電話での鑑定も始めましたので、今後はそちらへ移行するケースも徐々に増えていく
 かも知れませんね。

 ところで長嶋さん、大丈夫ですかねえ。一日も早く元気になっていただきたい、アテネ五輪よりも
 まず自分の体のことを第一に考えて。日本中のみんながそう願っていると思うんですよ。
 まだまだ長嶋さんには元気でいてほしい。ナベツネが身代りになればいい、なんて思っている人が
 結構多かったりして。
 

 


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2004.3.3(水) 「もっと蛋白質を!」

 狂牛病に鶏インフルエンザ・・・、あとは豚さんだけが頼みの綱ですかあ。
 人間にとって蛋白質は欠かせないものなのに、これは深刻な問題ですねえ。

 仕方がないので私の場合は納豆と豆腐、つまり大豆たんぱくと、それからプロテイン。
 プロテインは以前は大豆をベースにしたものを飲んでいたのですが、ここ数年はホエイタイプのもの
 を愛用していますこれをいつも低脂肪乳や野菜ジュース、それに時々アミノサプリなんかに溶かして
 飲んでいます。
 あとはマグロの赤身とか、これは回転寿司に行って食べることが多いかも知れません。

 運をつかむためには心身ともに健康であること、これが基本です。
 運の良いときを最大限に活用するためには脳と筋肉を常に鍛えておくことが大切なんですよ。

 何故ならば、人間の心(=存在意識)は肉体と精神とによって成立しているからです。
 肉体は行動力を、精神(霊魂)は思考力をもたらしてくれます。どちらも疎かには出来ませんよね。
 だから頭を使わない人、運動不足の人、どちらも運をつかみにくい人達なんです。
 沢山の本を読んだり、素晴らしい芸術に接すること。
 できれば週に何回かスポーツクラブに通うことも超オススメです。
 
 そういった事を日常生活に少しずつでも取り入れていくようにしていくと、運の落ち込みを最小限に
 とどめてくれて、また運の上昇を大いに助けてくれることになるのです。
 脳も筋肉も、使っていないとどんどん衰えていく、これは本当に恐ろしいことだと思います。
 それプラス栄養補給、だから早く安心して牛肉と鶏肉が食べられるようになって欲しいんです。

 ・・・・って、なんだか食いしん坊の戯言でした。

 


2004.2.14(土) 「心観星命樹〜宿命の星算出ソフト」

 ずっと以前からの念願だった心観星命樹の星を算出するCGIの基本形がようやく出来上がりました。
 トップページからアクセス出来ますので、皆さん是非試してみて下さい。
 なかなか自分でプログラムを組む時間的余裕が無くて、うちのスタッフ(女性です)が約1ヶ月間
 かけて殆どロクに睡眠もとらず風呂にも入らず(半分ウソ)に試行錯誤しながら制作しました。
 干支暦の仕組みや毎月の節入、そして蔵干二十八元の取り方、星の算出の仕方等を一通り伝えて、
 あとは全部本人に任せてしまったのですが、まさかホントに作ってしまうとは思いませんでした。
 だって今までそういったプログラミング等、殆ど全くやったことのない人だったんですよ。

 でも、もともとは私がやっていた「ビートロジック」というシンセサイザーレンタル会社の
 「シンセ・プログラマー・アシスタント募集」の広告を見て入ってきた人だったんです。
 本当はレコーディングエンジニアになりたかったらしいんですが(女性のエンジニアは確かに
 少ない)、雇ってくれるスタジオがなかなか見つからずに、半ばどうでもいいやと思って応募して
 来たんだそうです。そういう意味ではもともと機械類をいじるのが好きなんでしょうね。
 女性とはいっても、その根性やバイタリティ、反骨精神は半端じゃありません(コワイ)。

 私が本格的に『万象算命』に取り組んでいくにあたり、「ビートロジック」の方はどんどん規模を
 縮小していって、スタッフも減らしていって、結局最後に残ったのが彼女ひとりだったんです。
 未だに某大学の法学部に在籍していて法律にも詳しく、インターネットやDTPの技術もあり、
 クラシックギターを演奏し、写真を撮るのも好きで、週末は空手のレッスンに通い、さらに好きな
 タレントは「SMAP」と「さだまさし」(ちゃんとファンクラブにも入っている)・・・。ちなみ
 に占いや新興宗教は大嫌い、だそうです。

 そんな彼女は中心星が「龍高」なんですよ、しかも生月天空象だし、まるで生きた標本ですね。
 いつも事務所ではパソコンに向かいながら「K1」の試合をDVDで映像だけ流し、さらにBGMは
 「さだまさし」という究極のミスマッチ、宿命天空象の影響下にある「龍高」というのは本当に
 すさまじい個性を発揮するものだなあと、いつも感心してしまいます。
 おまけに北方星が「調舒」なので上司(私)の言うことは素直に聞かないし、いつも批判精神
 ビッシビシ・・・、これ以上はちょっと書けません。なにしろ彼女のハイキックは私の側頭部を
 確実にヒット出来るのですから(教室の空き時間に机とイスを片づけて、時々練習しているのを
 見たことがあるんです)。

 彼女はまさに『万象算命』の陰の功労者といえますね、こういう強力なスタッフがいないとやはり
 私ひとりでは限界がありますから。彼女のようなスタッフがあと何人か加われば我が「創楽院」は
 より強力な組織へと成長していけることでしょう。
 
 で、「報奨金として200億円欲しい 」と言われているのですが、どうしましょう・・・。例の
 青色発光ダイオードの裁判の結果がこんなところにまで影響を及ぼしているわけですよ(半泣)
 なんとか焼き肉屋かホルモン焼き屋にご招待、といったあたりで勘弁してくれないかなあ。
 ちなみに下北沢だったら焼き肉は「げんかや」、ホルモンなら「いくどん」で決まりです!

 これを皮切りに、今後より本格的な『万象算命』のコンピュータソフトウェアが登場する予定です。
 ウィンドウズ版とマック版、それにPDA版と一通り出したいと思っています。
 内容的にはスタンダードタイプとプロフェッショナルタイプの2種類。ただしプロフェッショナル
 タイプは創楽院算命学塾のお弟子さん達、それもきちんと卒業した人のみ対象の限定発売となる
 予定です。

 今後出版される『万象算命』の書籍類とこのサイトのCGIやパソコンソフトを上手く併用すること
 によって干支や星を算出する手間を省き、初心者の方でも『万象算命』の世界をより楽しんでいた
 だけるようになるでしょう。
 また、いずれはインターネットを使った講習会、講演会等も可能にしたいと考えています。これが
 スタートすると海外在住の日本人の方々にもお勉強のチャンスが拡がるわけです。
 なんとか英語でも講義が出来るようにしたいんですけどね、もっと時間が欲しいなあ。

 この先いったい、『万象算命』は何処に向かって行こうとしているのかって?
 それは・・・、(笑わないでね)・・・実はハリウッドなんですよ(マジ)。

 


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2004.2.13(金) 「健脳サプリメント」

 運を良くするためには肉体の健康維持と精神の安定、という話をよくするのですが肉体の健康維持
 についてはやはり食生活と運動、筋肉を鍛える事は大切です。精神の安定については、そのひとつ
 として脳のコンディションを整えることが挙げられると思います。

 大体において「霊が見える」とか、「神が降りてくる」なんてアブナイ発言をする人は脳の回路の
 一部が故障しているケースが多いといいます。本人は大真面目なんですが、周りから見れば「おか
 しな人」ということになってしまいます。

 そもそも神様というのは人間の形はしていませんので、念のため。
 今までにも多くの自称霊能者達が実に様々な種類の「カミサマ」を捏造して来ましたが、くれぐれ
 もそういうものには騙されないようにして下さい(そういうものが好きだというなら、敢えて止め
 はしませんが)。

 以前こちらに鑑定を受けに来た人の中に「いつも通っている霊能者の先生にはこれこれこういう風
 に言われた」なんて話を得意げに語る人がいたので「あまりそういうものに頼らないほうがいいで
 すよ」と申し上げたら、「いいや、アタシの通っているのは一流の霊能者だから」といって譲らな
 いんですよ。霊能者にも一流とか二流というのがあるのかどうか私は知りませんが・・・。

 霊能力というもの、それ自体を否定するつもりはありませんが、世の中には怪しいところが結構
 ありますから、皆さん気を付けて下さいね。

 さて、そこで脳の健康を維持する方法のひとつとして、私の場合はいわゆる「健脳サプリメント」
 と云われるものをいくつか愛用しています。わかりやすくいえば脳の栄養補助食品ですね。
 種類としては「いちょう葉」、「大豆レシチン」、「DHA」、「PS(ホスファジルセリン)」、
 それにアミノ酸のひとつで「チロシン」というもの。「チロシン」以外は国産品で間に合わせて
 います。
 毎日朝から晩まで鑑定か講義か原稿書き、それ以外の時間も殆ど『万象算命』の事ばかり考えて
 いるわけですが、お陰様で脳の調子はいつも良いようで、おかしなものが見えたりすることもあり
 ません。あとは睡眠も大事なのは言うまでもありません(私の場合これがなかなか難しい)。

 ずっと以前は実に多くの種類のサプリメントを愛用していたのですが、結構お金がかかるんです
 よね。それで最近は上記のもの以外にはオーソドックスにビタミン類と「カルシウム/マグネシ
 ウム」、あと高血圧等に良いといわれる「コエンザイムQ10」や肝臓に効く「ウコン」あたりかな。
 普段の食事で栄養バランスが今一つだったら、この手のものを多少取り入れてみるのも良いのでは
 ないかと思います。

 怪しい宗教団体に寄付するお金があったら、それを自分の健康に投資した方が遥かに開運しやすく
 なると思いますよ。


2004.2.10(火) 「ザ・ラスト吉野家」

 吉野家の牛丼がしばらく食べられなくなってしまうと聞いて、お昼に三宿の吉野家で 牛丼弁当を
 買ってきました。店内は超満員で弁当を買うところも行列と、想像以上の有り様に一瞬ひるんだ
 のですが、20分くらい並んでようやく買えました。

 牛肉の問題は深刻ですね。下北沢のステーキ屋さんあたりでも、メニューの種類を減らしたりして
 色々と苦労しているようです。ステーキ、焼き肉、しゃぶしゃぶ、すき焼き、ビーフシチュー、
 ビーフカレー、そして牛丼やハンバーガーというように牛肉を使った料理というものは実に沢山
 あるわけですから、 一日も早い解決をお願いしたいものです。

 人間の体にとって蛋白質は欠かせないものです。私の場合は卵白(ゆでたまご)や納豆、それに
 食事以外にはホエイプロテインを野菜ジュースや低脂肪乳に混ぜて飲んでいます。イワシの缶詰め
 も好きです。魚は買ってくるよりも回転寿司に行くことの方が多いかも。

 運をつかむためには、健全な肉体と精神を持っていることが第一条件です。せっかく運気上昇の
 時期を迎えても、体の具合が悪かったり、精神状態がおかしかったりでは運は上がらないのです。
 なぜならば、人間は肉体と精神とで成立しているからです。
 干支や星で宿命や後天運を眺めていて、どうも自分本来の持ち味が出ていないなあという人は、
 自分のおかれている環境を整えることと同時に、親からもらったかけがえのない肉体と精神とを
 しっかりと管理して、十分に稼働できるように心掛けるべきです。

 何をやっても上手くいかない、ちっとも運が上がらないと嘆いている人の多くは、肉体や精神の
 調整不足が原因です。まずそこを改善するべきです。そうすることによって自分を取り巻いている
 環境をより良いものに変えていく力とムードが生まれます。他人に与える印象も大きく変わるはず
 です。そうすると人間関係も変わっていきます。当然、恋愛・結婚や仕事のチャンスも増えていく
 ことになります。

 自分の宿命や運命を知ることはとても大切なことですが、それを十分に活かすためには健全な肉体
 と精神、これが絶対に疎かに出来ないのです。

 


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2004.2.9(月) 「繰り上がって陽転した想運天空象(大運天中殺)の凄さについて」

 2月9日という日は私(伯耆)にとって、とても想い出のある日です。今からちょうど21年前、すな
 わち1983(昭和58)年2月9日、当時まだ弱冠25歳だった私が無謀にも(?)会社を興した日だっ
 たんです。

 下北沢「ザ・フェノミノン・スタジオ」・・・小さなレコーディングスタジオでしたが、そこには
 無限の夢と可能性がありました。当時はまだ珍しく、高価だったリン・デジタルドラムマシンや
 MC4シーケンサー、シモンズの六角形の電子ドラム、プロフィット5やジュピター6といったシンセ
 サイザー群にヤマハのCP70エレクトリックグランドピアノといった最新鋭のデジタル楽器類を揃え、
 さらにレキシコン224という400万円もするデジタルリバーブ(エコーを付加するマシン)を始めと
 する充実した周辺機材が並ぶコントロールルーム。(ちなみにこのころはまだMIDIという規格は
 登場したばかりで、対応している機器も殆どありませんでした。)
 レコーダーはアナログの8トラックレコーダーが2台でプロのレコード制作には役不足でしたが、
 しかしちょっとしたCM音楽や劇伴(映画やドラマ、舞台等のBGM)だったら低料金でかなりの
 クオリティのものが制作出来ました。

 インディーズの自主制作盤等は今ではちっとも珍しくありませんが、当時はまだ自主制作というと
 かなり特殊なケースで、みんな低予算で少しでもいいものが作れないかと頭を悩ませていた時代で
 す。私はそのようなインディーズのレーベルを運営されている方々にも案内状を送って、少しでも
 低料金でそして少しでも高品質なレコードを作ってもらおうと思ったんです。
 当時は東京ロッカーズというムーブメントがあって、テレグラフレコードとかシティロッカーレコ
 ードといったレーベルが頑張っていましたね。そういったインディーズのアルバムやシングルを僅
 か2年間の間にずいぶん沢山作りました。
 私自身がエンジニアとしてミックスしたものも沢山あるんですよ。20年くらい前のインディーズの
 レコードを集めている人がいたら、レコードジャケットのクレジットを確認してみて下さい。

 結局このスタジオは騒音問題でトラブルが重なり2年足らずで移転することになるのですが、この
 下北沢のスタジオを通じて実に多くの人々と出会うことが出来ました。
 当時まだ創刊したばかりのサウンド&レコーディングマガジンに広告を出したら、一番最初に
 (しかも突然に)来てくれた有名アーティストはシーナ&ロケッツの鮎川誠さんでした。
 「ご近所にスタジオが出来たというのでちょっと見に来ました。」(実際には博多弁でした)との
 ことで、その数日後にデモテープの録音にご夫婦(+赤ちゃん)でいらっしゃいました。

 インディーズでは当時人気のあったオートモッドのジュネ氏が一番最初に見学に来て、彼等の
 ライブアルバムのトラックダウンに使ってくれました。今思えばあの頃のオートモッドでギターを
 弾いていたのはなんと布袋寅泰(当時はボウイと掛け持ちだったみたい)氏で、ベースはその後
 パーソンズを結成した渡辺貢氏という強力なラインナップでしたね。

 それ以後、ミュートビート、EP-4、くじら、フォノジェニックス(新月という伝説のグループの
 メンバーが中心になっていた)、G-シュミット、マネキンノイローゼ、コンクリーツ、マダム・
 エドワルダ、ウニタミニマ、レピッシュ、イル・ボーン・・・、う〜んと、まだまだ沢山あるの
 ですが直ぐに名前を思い出せません、とにかく沢山のアーティスト達が訪れてくれました。

 もとを正せば、それまでやっていたバンドが解散してしまい、ギタリストとして自分個人のデモ
 テープを 創ろうと思い立ったのがきっかけで、下北沢のとあるビルの一室を借りて「男の60回」
 というローンを(それも殆ど頭金ゼロで)組んで高価な機材を買い集め、会社登記をして始めた
 ものでした。
 が、この下北沢「ザ・フェノミノン・スタジオ」、当時の自分自身の予想を遥かに超越した展開を
 していったのでした、まるで映画のストーリーのように今思いだしても本当に不思議な(ある意味
 ではムチャクチャな)、ドラマチックな時代だったと思います。
 そしてこれがギタリストからレコーディングエンジニア、そしてシンセサイザー・マニピュレータ
 ーへと転身する足掛かりとなっていったわけです。

 あとになって算命学を学んでみて、これが陽転した想運天空象(大運天中殺)の凄さなんだと改め
 て認識しました。100年分の運命エネルギーの流れを読み取る算命図式においても、この頃が一生
 涯で最もエネルギー値が高かったんです。同じことを今やってみろと言われても、これは絶対に出
 来ないですね。
 もっと早い時期に自分の運勢というものを知っていたら、もっともっと効率のいい生き方をしてい
 たと思うんですけど、当時まだ25〜6歳、体力と根性と運の良さでひたすらパワフルに突き進んで
 いました。(当時いろいろとご迷惑をおかけした皆様、本当にゴメンナサイ)

 そしてあれから、いつの間にか21年も経ってしまった・・・
 20年間の想運天空象(大運天中殺)が終わってタダの人に戻ってみて、ふと気が付くと 音楽業界
 とは全く違う世界に来てしまっていた・・・

 もう人生の半分以上を生きてしまったわけですね、時間というものは年を取るほどに速く過ぎてい
 く様に感じられます。自分に残された時間を如何に有効に使いこなしていくか、数少ないチャンス
 をどのように活かしていくか、そのような事を考えるときにつくづく算命学を学んでいて本当に良
 かったなと思うんです。

2004.2.8(日) 「下北沢のおいしいラーメン屋さん」

 下北沢にはラーメン屋さんが沢山あります。にもかかわらず私が何度でも通いたいと思うような
 お店が残念なことに一軒も無いんです。あれだけ多くの飲食店が並んでいて、ラーメン屋さんだけ
 でも相当な激戦区の筈なんですが、何故なんだろう? 誰かお奨めのお店があったら是非教えて
 下さい。

 このところ私が好きで時々行くのが「にんにくゲンコツラーメン」の「ラーメン花月・学芸大店」。
 ここはおいしいし、店内も明るくて清潔感があっていいんですよ。

 JR恵比寿駅を中心に色々なラーメン屋さんがあるのですが、ずっと昔はその中でも支那そばの
 「恵比寿ラーメン」が一番のお気に入りでした。ここが満員で入れないときはその近くの「香月」
 にもよく行きました。夜中にスタジオセッションが終わってから、お腹が空いているとついつい
 食べたくなって帰宅途中に寄り道をしてしまうんですよね〜。

 下北沢はカレー屋さんはおいしいところが何軒もあるのに、ラーメンはなあ・・・。 実は接客態度
 とかも今一つなんですよ、もちろん全部の店がそうではないんですが。


 


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2004.2.2(月) 「新しい講習会の予定など」

 今年の講習会のスケジュールを組んでいるところなのですが、どうも今年は2月が原稿執筆にかなり
 時間を取られそうなので、やむを得ず3月からの開講ということになりました。2月開講を楽しみに
 していらした皆様には本当に申し訳ないのですが、何しろ鑑定も講習会や教室の講義も私=伯耆が
 全て一人でやらなくてはなりませんので、もう少しだけお待ち下さいませ。

 土曜日の実践鑑定セミナー(初級編、中級編)のスケジュールはほぼ決まりつつあるのですが、昨年
 まで火曜日(または月曜日)にやっていた研究シリーズの講習会はまだ予定が立っておりません。
 昨年の「守護神法研究」シリーズの続編として今年は「格法研究クラス」をやろうと考えてはおりま
 すが、もし皆さんの方からご要望があればメールなどお送り下さい。

 『万象算命』の教室の方は 、今年の新しい入門科クラスのスタート時期を一応5月と考えております
 が、昼の部・夜の部共に参加希望者6名以上で開講致します。

 というわけで、きょうは殆ど講習会のお知らせとなってしまいました。

 

 


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2004.1.29(木) 「最近気に入っているもの

 私はお酒はあまり強くありません。でも、飲みながら食べるのは大好きです。夏はやはりビールなん
 ですが、冬になってからは温まるものがいいですね。というわけで最近は焼酎のお湯割りに梅干しを
 入れたものが気に入ってます。で、おかずは納豆とひじき。枝豆とか豆腐類もいいですね。

 別に菜食主義ではありません。肉や魚ももちろん食べます。肉類はステーキも大好物なんですが、
 ここ一年くらい、ホルモン(内臓系)が気に入ってしまって、ハツ・ミノ・ハラミ・コブクロ・カシ
 ラ・ナンコツ・ギアラ・レバー等々、食感もバリエーションがあるし、栄養も豊富らしいので月に1
 度は下北沢の「いくどん」というお店に行って食べまくります。あとしゃぶしゃぶもヘルシーでいい
 ですね。

 と書いているうちにそろそろお腹が空いてきたので、事務所の近くにあるセブンイレブンで「ネギ塩
 豚カルビ弁当」というのを買ってきました。ごはんには麦が少し混ぜてあってこれはなかなかおいし
 いです。

 きょうは木曜日で、ついさっき夜の講義が終わったところなので、これから車で三宿にある「常磐湯」
 という銭湯へ行こうと思います。事務所周辺にはもはや銭湯が一軒も残っていないんですよ。
 「常磐湯」はプラス250円でサウナに入れるので、これがいいんです。どうも私は狭くて小さい風呂
 というのがあまり好きではなくて、ある程度広い浴槽でないとリラックス出来ないんです。

 さて、本日のまとめに入ります。私が最近気に入っているもの、「焼酎のお湯割・梅干し入り」、
 「納豆」と「ひじき」、「枝豆」や「豆腐類」、「ステーキ」、「ホルモン料理」、それに
 「しゃぶしゃぶ」、で「サウナ付き銭湯」・・・。
 これに以前から気に入っているもの、「カレー」と「ラーメン」の話を始めると終わらなくなりそう
 なのできょうはこの辺で(突然終わり)。


 


2004.1.21(水) 「日光猿軍団」

 今年は申年(さるどし)です。暦の上では来月、2月4日(水)が立春で、そこから新しい年というこ
 とになります。 申年というと思いだすのが「日光猿軍団」です。確か12年前の事だったと思います
 が、当時とても人気のあった彼等(?)に歌を歌わせてCDを出そうという企画が持ち上がり、私にも
 声がかかったのです。

 そのプロジェクトにおける私の役割は何だったかというと、オケの部分を全てシンセサイザーとコン
 ピュータで制作するのに加えて猿軍団の泣き声をサンプリングして、それを基にして歌のパートも作
 ってしまうということでした。サンプリングというのは簡単に説明しますと自然界のあらゆる音をデ
 ジタル録音し、それを様々なデジタル処理によって音程をつけて演奏できるようにしたり、元の音と
 は全く異なる新しいサウンドを生み出したりする技術なんです。

 東芝EMIの録音部のエンジニアがわざわざ日光まで行って、猿軍団の泣き声を長時間にわたり収録し
 てきてくれたので、それの使えそうな部分をサンプリングマシンに取込んで、鍵盤で音程をつけて演
 奏できるようにしたのですが、実際にはなかなか歌のパートにそのまま使えそうな声がなく(当たり
 前だ!)、やむを得ず私の持っていたサンプルライブラリーの中から別のサルやチンパンジーの声を
 選んで猿軍団の声に加えてみたのです。

 スタジオではそれでまあなんとか格好がついたのですが、完成間際になって猿軍団の関係者がやって
 きたので、一応出来上がりつつあるものを聞かせたところ「これはうちのサルの声じゃない!」と一
 発で見破られてしまったんで、も〜びっくり!

 私には同じサルの声にしか聞こえなかったのですが、やはりわかる人にはわかるんだなあ、と大いに
 感心しました。結局歌のパートのサルの声は全部はじめから作り直してようやくオーケーをもらった
 のですが、こっちもプロだけどあっちもプロ、こういう舞台裏ってCDを買って聴いてくれる人には全
 く知らされないわけですが、いやあ実に面白い体験でした。未だにサルって言葉を聞くと、この仕事
 のことを想い出すんですよ。

 このCD、制作発表の記者会見までやってたみたいだけど、どれくらい売れたんだろうか?

 というわけで、今回も算命学とは全然関係ない話になってしまいました。

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2004.1.20(火) 「シンセサイザーの仕事」

 かつて私はシンセサイザー・マニピュレーター(最近ではシンセサイザープログラマーと呼ぶことが
 多いようです)という仕事をしていて殆ど毎日のように朝から晩まで都内のレコーディングスタジオ
 でアイドルポップスから演歌まであらゆるジャンルのレコード制作やCM音楽、映画のサントラやTV
 ドラマ、アニメ等の劇伴(バックに流れる音楽のことです)、とおよそ考えられるかぎりの様々な録
 音制作に参加していました。

 シンセサイザー・マニピュレーターというのはどういう仕事なのかといいますと、作編曲家やアーテ
 ィスト、プロデューサーの要望に合わせて、その楽曲に最もマッチしたシンセサイザーの音色をプロ
 グラミングしたり、譜面をコンピュータに入力してシンセサイザーやサンプリングマシンを自動演奏
 させる、というような作業をスタジオのコントロールルームの中で延々とやるわけです。

 最近はシンセサイザーやコンピュータの使い勝手が格段に向上したお陰で、作業もずいぶんとスピー
 ディになりましたが、昔は本当に大変で、みんなスタジオの中で様々な試行錯誤を繰り返しながら深
 夜、明け方までというパターンが多かったんです。それから自宅に戻って少し寝て、翌日もまた昼く
 らいからスタジオという生活がずっと続いていました。
 CM音楽や劇伴のレコーディングは午前中にスタートすることが多かったので、仕事が重なるともう地
 獄。朝6時ごろいったん帰宅して、シャワーを浴びて仮眠をとって8時過ぎにはもう次のスタジオへ出
 発、同業者にはこれで身体を壊した人が何人もいました。

 今までで一番ハードだったのは、もう17年位前になると思いますが、当時人気のあった「安全地帯」
 というグループの映画のサントラのレコーディングで夜中の12時に目黒区青葉台のKRSスタジオに入
 ってそれを翌日の正午までやり、そのまま午後1時から同じスタジオで「久保田利伸」のデビューア
 ルバムのレコーディングに突入し、それが翌朝の5時過ぎまで、それでようやく家に帰れるかと思って
 いたら、スタジオに電話が入り既に別スタジオに移動していた安全地帯の映画サントラのディレクタ
 ーから「そっちが終わり次第すぐに来て欲しい」と言われて、急いで機材をハイエースに積み込んで
 (といっても十数台ものシンセサイザーやコンピュータ類のセッティングをばらすのはまたこれが大
 騒ぎ、毎日が引越みたいだった)そのまま麻布にあるアオイスタジオへ直行。行ってみて気が付いた
 のは彼らもあれから一睡もせずに頑張っていたんだってこと、みんな凄いよね〜。

 なにしろ映画のフィルムの編集が数時間後に始まろうとしているのにまだ音楽が全部録音できていな
 いという有り様で、作編曲は全て星勝さん(ずっと昔、伝説のモップスでギターを弾いていた人)だ
 ったのですが、星さんを筆頭にミキサー(録音エンジニア)とそのアシスタント、ディレクター、十
 数名のミュージシャン達がスタジオの中に座って・・・・、いや大部分がみんな床に倒れていたんで
 すよ〜。

 で、またスタジオに自分の機材をセッティングして既に録音した楽曲に片っ端からシンセサイザーの
 パートをダビングしていくという作業を、ただひたすら私が譜面を見ながら音色を作り、プレイヤー
 がそれを演奏して録音していくという作業を気が遠くなるくらいやりました。
 途中から、シンセダビングが完了した楽曲から即トラックダウンして、マスターテープを赤坂にある
 日活スタジオに片っ端からピストン輸送するという、もう一体何が何だかよくわからない状態で作業
 が進み、その夜ようやく全てが終わったのです。体力には人一倍自信のあった私でも(当時まだ20代
 だったし〜)さすがに途中で何度か意識がとんでしまったようで、殆ど丸々3日間位、レコーディン
 グ以外はトイレ、出前のお弁当、あとの記憶がないんですよ。

 プロというものは技術だけじゃだめで、やはり体力とか根性がないと、絶対に続かないですね。特に
 昔のシンセサイザーというのはボディが鉄でやたらと重く運搬が大変、振動にも弱くて故障も多い、
 それでいてどれも数百万円と高価で本当にやっかいなシロモノだったんです。
 今思えばまだ20代の若造が総額数千万円ものシンセサイザー類を機材車に満載してスタジオからスタ
 ジオへと駆けずり回るという、これこそまさに想運天空象(大運天中殺のこと)の現象そのものとい
 った時代を20代から30代にかけて過ごしてきたわけです。約20年間、実にエキサイティングな時代
 だったと思います。

 で、それがなんでまた算命学の世界へ? 
 というあたりはまた機会を改めまして、申年にちなんで「日光猿軍団」の話をしようと思います。   (続く)



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2004.1.17(土) 「プロになりたいって?」

 私のやっている創楽院の教室への入学の問合せの電話の中には「どれくらいでプロになれるのか?」
 とか、「資格はもらえないのか?」という内容のものが時々あるそうです。

 私がお金を頂いて鑑定をするようになったのは算命学の勉強を始めて10年ほど経ってからです。
 ずっと音楽業界で仕事をしていました。殆ど毎日、昼から深夜までスタジオでレコーディング、
 その間に算命学も含め実に様々な運命学の教室や講習会に通いました。やはり自分には算命学が
 一番しっくりきたのでしょう。普段は仕事が終わって自宅に帰るのは深夜だし、疲れていてとて
 も勉強する時間はとれません。
 どうやって勉強していたのかといいますと、私の場合はスタジオのコントロールルームの中で、
 山のように積み上げたシンセサイザーやサンプラー等、常に時代の最先端をいくデジタル楽器群
 に囲まれながら、自分の出番のない時間を利用して勉強していました。あとは毎日の車での移動
 の際は、算命学の通信講座のテープをよく聴いていました。
 アルバムのレコーディングが一段落して、スケジュール的にちょっと楽になったときなどは集中
 的に勉強していましたね。今思えば自分でもよく続いたなあと思います。

 で、「どれくらいでプロになれるのか?」という質問に私がお答えするとすれば、
 「勉強始める前からそんなこと考えている奴は一生かかったってプロにはなれねえよ!」
 ということです。

 こういう質問を大の男が電話でしてくるそうなので、実に情けない。
 はっきり申し上げますが男の占い師なんて全然儲かりませんよ!
 金儲けが目的ならもっと他にお金になる仕事があるでしょう。
 男性の占術家、研究家でちゃんと喰えている人なんてほんの極く一部だけです。

 まずは算命学の勉強を楽しんで下さい。そのうちに「これは何かあるな!」と気が付いたら
 それから本格的に 取り組んでいけば良いでしょう。プロになるとかならないとか、そういうのは
 その後の話です。

 創楽院では現在のところ鑑定士の資格とか、講師の資格などの証書は発行しておりません。将来
 的には段位のようなものを制定して、生徒さんの励みになるようなものにしたいと考えてはおり
 ます。しかし、一通り講義を修了しただけで鑑定士の免状を授与するとか、そういういい加減な
 ことはやりたくありません。

 とある宗教団体が運営している占い館では信者にほんの2〜3日程度の講習を受けさせて、それ
 だけで鑑定士の免状を出しているようです。素人がお金をとって鑑定のまね事をやるばかりでな
 く、 除霊なんていう怪しい行為や教団への入会を奨めたりするらしいので、どうかこういうもの
 にひっかからないようにお気をつけ下さい。宗教というものは信仰するものであって、開運する
 ことが本来の目的ではないはずです。占い宗教は邪教、はっきりと申し上げておきます。

 


2004.1.15(木) 「謹賀新年」

 皆様、新年明けましておめでとうございました・・・!?

 新しい年のご挨拶がすっかり遅くなってしまいまして、誠に申し訳ございません m(_ _)m
 昨年末は沢山のメール鑑定のご依頼を頂きまして、結局年内に全ての鑑定を終わらせることが
 出来ず、今週初めにようやく一段落つきました。お待たせしてしまった皆様、本当にごめんなさい。
 
 実は、先月から電話鑑定というのも始めております。これは遠くにお住まいで私の創楽院鑑定所
 までお越しになれない方のご相談にも広く受けられるようにということで、従来のメール鑑定と
 並行してやっていくことになりました。

 昨年はかなり遠方から飛行機や新幹線、高速バス等を利用して、はるばる私の鑑定所にいらして
 下さった方も多く、鑑定料よりも交通費の方が高くついた方も少なくなかったようです。
 これまでもメール鑑定やお手紙による通信鑑定で地方の方や海外在住の方のご相談にも乗れる
 体制を敷いていたわけですが、「電話でも鑑定できるようにしてほしい」というご要望が予想以上
 に高かったんです。

 実際にスタートしてみると、やはり相当遠くにお住まいの方からのご依頼が多く、皆さん喜んで
 下さっているようなので、それならもっと早い時期からやればよかったと、ちょっと反省しました。
 私の場合、電話鑑定も予約制となっていますが、あらかじめ干支と星を一通り読み取って準備を
 整えておいてから鑑定に臨みますので、30分の鑑定でも相当に充実した内容のものとなります。

 って、冒頭からいきなり宣伝みたいになってしまいました(汗)

 今年の 抱負など、ベンチプレスで100キロ挙げられるようにすることと、もっと身体を柔らかく
 して威力のあるハイキックをマスターしたい、さらに持久力もつけたいですねって、一体この私
 は何者なんだ〜?

 マジで、今年は『万象算命』の専門書、入門書がいくつか出る予定です。昨年いっぱいで音楽の
 仕事は一区切りつけましたので、今年からようやく『万象算命・創楽院』に専念出来るのです。
 そろそろ大きく動き出そうと思っています。

 2004年の『万象算命・創楽院』にどうぞご期待下さい。


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