算命道一直線:2004年1月〜3月の日記
(算命学者・伯耆弘徳による日記のようなもの)
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2004.3.29(月) 「私はヘビー級ですって!?」
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2004.3.27(土) 「実践鑑定セミナー・初級編、始まりました!」 きょうは午後から「実践鑑定セミナー・初級編」が行われました。『万象算命』の講習会は今回が初
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2004.3.17(水) 「アテネで会ってね?」
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2004.3.13(土) 「実践鑑定セミナーに関するお知らせです」
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2004.3.12(金) 「長嶋茂雄氏はしばらく休むべきです」
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2004.3.11(木) 「実践鑑定セミナーの情報」 きょうは簡単に講習会のご案内です。
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2004.3.10(水) 「四人囃子の想い出」(2) 私はというと結局ギタリストとして日の目を見る前に、シンセサイザー・マニピュレーターへと転身
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2004.3.9(火) 「四人囃子の想い出」(1)
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2004.3.8(月) 「もうすぐ実践鑑定セミナー」
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2004.3.7(日) 「E-Mail鑑定の舞台裏」 この一週間、メール鑑定の依頼がまた増えてきていて、そっちに時間をかけているとホームページの
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2004.3.3(水) 「もっと蛋白質を!」
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2004.2.14(土) 「心観星命樹〜宿命の星算出ソフト」
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2004.2.13(金) 「健脳サプリメント」 |
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2004.2.10(火) 「ザ・ラスト吉野家」
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| 2004.2.9(月) 「繰り上がって陽転した想運天空象(大運天中殺)の凄さについて」 2月9日という日は私(伯耆)にとって、とても想い出のある日です。今からちょうど21年前、すな わち1983(昭和58)年2月9日、当時まだ弱冠25歳だった私が無謀にも(?)会社を興した日だっ たんです。 下北沢「ザ・フェノミノン・スタジオ」・・・小さなレコーディングスタジオでしたが、そこには 無限の夢と可能性がありました。当時はまだ珍しく、高価だったリン・デジタルドラムマシンや MC4シーケンサー、シモンズの六角形の電子ドラム、プロフィット5やジュピター6といったシンセ サイザー群にヤマハのCP70エレクトリックグランドピアノといった最新鋭のデジタル楽器類を揃え、 さらにレキシコン224という400万円もするデジタルリバーブ(エコーを付加するマシン)を始めと する充実した周辺機材が並ぶコントロールルーム。(ちなみにこのころはまだMIDIという規格は 登場したばかりで、対応している機器も殆どありませんでした。) レコーダーはアナログの8トラックレコーダーが2台でプロのレコード制作には役不足でしたが、 しかしちょっとしたCM音楽や劇伴(映画やドラマ、舞台等のBGM)だったら低料金でかなりの クオリティのものが制作出来ました。 インディーズの自主制作盤等は今ではちっとも珍しくありませんが、当時はまだ自主制作というと かなり特殊なケースで、みんな低予算で少しでもいいものが作れないかと頭を悩ませていた時代で す。私はそのようなインディーズのレーベルを運営されている方々にも案内状を送って、少しでも 低料金でそして少しでも高品質なレコードを作ってもらおうと思ったんです。 当時は東京ロッカーズというムーブメントがあって、テレグラフレコードとかシティロッカーレコ ードといったレーベルが頑張っていましたね。そういったインディーズのアルバムやシングルを僅 か2年間の間にずいぶん沢山作りました。 私自身がエンジニアとしてミックスしたものも沢山あるんですよ。20年くらい前のインディーズの レコードを集めている人がいたら、レコードジャケットのクレジットを確認してみて下さい。 結局このスタジオは騒音問題でトラブルが重なり2年足らずで移転することになるのですが、この 下北沢のスタジオを通じて実に多くの人々と出会うことが出来ました。 当時まだ創刊したばかりのサウンド&レコーディングマガジンに広告を出したら、一番最初に (しかも突然に)来てくれた有名アーティストはシーナ&ロケッツの鮎川誠さんでした。 「ご近所にスタジオが出来たというのでちょっと見に来ました。」(実際には博多弁でした)との ことで、その数日後にデモテープの録音にご夫婦(+赤ちゃん)でいらっしゃいました。 インディーズでは当時人気のあったオートモッドのジュネ氏が一番最初に見学に来て、彼等の ライブアルバムのトラックダウンに使ってくれました。今思えばあの頃のオートモッドでギターを 弾いていたのはなんと布袋寅泰(当時はボウイと掛け持ちだったみたい)氏で、ベースはその後 パーソンズを結成した渡辺貢氏という強力なラインナップでしたね。 それ以後、ミュートビート、EP-4、くじら、フォノジェニックス(新月という伝説のグループの メンバーが中心になっていた)、G-シュミット、マネキンノイローゼ、コンクリーツ、マダム・ エドワルダ、ウニタミニマ、レピッシュ、イル・ボーン・・・、う〜んと、まだまだ沢山あるの ですが直ぐに名前を思い出せません、とにかく沢山のアーティスト達が訪れてくれました。 もとを正せば、それまでやっていたバンドが解散してしまい、ギタリストとして自分個人のデモ テープを 創ろうと思い立ったのがきっかけで、下北沢のとあるビルの一室を借りて「男の60回」 というローンを(それも殆ど頭金ゼロで)組んで高価な機材を買い集め、会社登記をして始めた ものでした。 が、この下北沢「ザ・フェノミノン・スタジオ」、当時の自分自身の予想を遥かに超越した展開を していったのでした、まるで映画のストーリーのように今思いだしても本当に不思議な(ある意味 ではムチャクチャな)、ドラマチックな時代だったと思います。 そしてこれがギタリストからレコーディングエンジニア、そしてシンセサイザー・マニピュレータ ーへと転身する足掛かりとなっていったわけです。 あとになって算命学を学んでみて、これが陽転した想運天空象(大運天中殺)の凄さなんだと改め て認識しました。100年分の運命エネルギーの流れを読み取る算命図式においても、この頃が一生 涯で最もエネルギー値が高かったんです。同じことを今やってみろと言われても、これは絶対に出 来ないですね。 もっと早い時期に自分の運勢というものを知っていたら、もっともっと効率のいい生き方をしてい たと思うんですけど、当時まだ25〜6歳、体力と根性と運の良さでひたすらパワフルに突き進んで いました。(当時いろいろとご迷惑をおかけした皆様、本当にゴメンナサイ) そしてあれから、いつの間にか21年も経ってしまった・・・ 20年間の想運天空象(大運天中殺)が終わってタダの人に戻ってみて、ふと気が付くと 音楽業界 とは全く違う世界に来てしまっていた・・・ もう人生の半分以上を生きてしまったわけですね、時間というものは年を取るほどに速く過ぎてい く様に感じられます。自分に残された時間を如何に有効に使いこなしていくか、数少ないチャンス をどのように活かしていくか、そのような事を考えるときにつくづく算命学を学んでいて本当に良 かったなと思うんです。 |
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2004.2.8(日) 「下北沢のおいしいラーメン屋さん」 下北沢にはラーメン屋さんが沢山あります。にもかかわらず私が何度でも通いたいと思うような
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2004.2.2(月) 「新しい講習会の予定など」
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2004.1.29(木) 「最近気に入っているもの」
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| 2004.1.21(水) 「日光猿軍団」 今年は申年(さるどし)です。暦の上では来月、2月4日(水)が立春で、そこから新しい年というこ とになります。 申年というと思いだすのが「日光猿軍団」です。確か12年前の事だったと思います が、当時とても人気のあった彼等(?)に歌を歌わせてCDを出そうという企画が持ち上がり、私にも 声がかかったのです。 そのプロジェクトにおける私の役割は何だったかというと、オケの部分を全てシンセサイザーとコン ピュータで制作するのに加えて猿軍団の泣き声をサンプリングして、それを基にして歌のパートも作 ってしまうということでした。サンプリングというのは簡単に説明しますと自然界のあらゆる音をデ ジタル録音し、それを様々なデジタル処理によって音程をつけて演奏できるようにしたり、元の音と は全く異なる新しいサウンドを生み出したりする技術なんです。 東芝EMIの録音部のエンジニアがわざわざ日光まで行って、猿軍団の泣き声を長時間にわたり収録し てきてくれたので、それの使えそうな部分をサンプリングマシンに取込んで、鍵盤で音程をつけて演 奏できるようにしたのですが、実際にはなかなか歌のパートにそのまま使えそうな声がなく(当たり 前だ!)、やむを得ず私の持っていたサンプルライブラリーの中から別のサルやチンパンジーの声を 選んで猿軍団の声に加えてみたのです。 スタジオではそれでまあなんとか格好がついたのですが、完成間際になって猿軍団の関係者がやって きたので、一応出来上がりつつあるものを聞かせたところ「これはうちのサルの声じゃない!」と一 発で見破られてしまったんで、も〜びっくり! 私には同じサルの声にしか聞こえなかったのですが、やはりわかる人にはわかるんだなあ、と大いに 感心しました。結局歌のパートのサルの声は全部はじめから作り直してようやくオーケーをもらった のですが、こっちもプロだけどあっちもプロ、こういう舞台裏ってCDを買って聴いてくれる人には全 く知らされないわけですが、いやあ実に面白い体験でした。未だにサルって言葉を聞くと、この仕事 のことを想い出すんですよ。 このCD、制作発表の記者会見までやってたみたいだけど、どれくらい売れたんだろうか? というわけで、今回も算命学とは全然関係ない話になってしまいました。 |
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2004.1.20(火) 「シンセサイザーの仕事」 かつて私はシンセサイザー・マニピュレーター(最近ではシンセサイザープログラマーと呼ぶことが
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2004.1.17(土) 「プロになりたいって?」
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2004.1.15(木) 「謹賀新年」 |